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アンプロムプテュ白馬 ピアニストの隠れ家

皆様、お久しぶりです。
この数か月、なかなかハードな毎日という言い訳に甘えてブログの更新が滞ってしまいました^^;;
なんというか、大丈夫、生きてます(笑)。

さて、今日ブログを久しぶりに再開しようと思ったきっかけが、これからご紹介しようと思う「ピアニストの隠れ家 アンプロムプテュ白馬」さん。長野県でも有名な観光地である白馬の四季折々の大自然に囲まれて、ゆったりとした時間を過ごしながら見事な調整を施されたピアノに没頭できるという、ピアノ好きの方なら夢のような宿泊施設なのです。

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オーナーをされているのは数年前、仕事で知り合った山口さんという方。長年、ヨーロッパでコンサートチューナー(調律師)として第一級のお仕事をされてきた方です。そのゴッドハンドによる調律・整調・整音が施された極上のピアノが防音室完備で好きなだけ弾けるってスゴイと思いませんか^^

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最近、オーナー自らブログをはじめられたとのことで、ご紹介しちゃいます!
皆様、是非、ご覧になってください^^

[オーナー山口さんによるブログ]
http://impromptus-hakuba.seesaa.net/

[ピアニストの隠れ家 アンプロムプテュ白馬さんのホームページ]
http://www.impromptus-hakuba.com/

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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

音楽のハナシ04 古代ギリシアの音楽(4)

 音楽のもつ効用について、古代ギリシアほど重要視し、また心配した文明もないと思います。模倣(ミメーシス)というものを重要視したプラトンは、こう書いています。

「真似というものは、若いときからあまりいつまでも続けていると、身体や声の面でも、精神的な面でも、その人の習慣と本性の中にすっかり定着してしまうものだ」(「国家」より)

 としたうえで、「変化抑揚に乏しく」「単一の音階に為される」音楽と、「ありとあらゆる変化抑揚を持って」おり「ありとあらゆる音調とリズムを必要とする」音楽とが対比され、前者のアポロン的音楽こそが国家にはふさわしいという話になります。まるで「ヘヴィメタだのパンクだのは不健康な音楽だから若者には禁止!」とおっしゃるPTA総会のようでもあり(いや、それはそれで一理あるとも思うのですが)、メイデンやツェッペリンのCDを車に常駐させている私としては肩身が狭い思いです(汗)。

 そして議論は具体的な音楽のことに入っていきます。ちなみにプラトンの著作は全てディアレクティケー(対話形式)で書かれています。少し長いのですが、基本的に肯定するだけの応答は省略しつつ引用します。

「まず第一に、次のことはよく納得できて、言えるはずだ。歌というものは三つの要素、すなわち言葉(歌詞)と、調べ(音階)と、リズム(拍子と韻律)とから、成り立っているということは。」
「そして調べとリズムは、言葉に従わなければならない」
「しかるにわれわれは、言葉で語るいろいろの話のなかに、悲しみや嘆きはいっさい不必要であると主張した」
「では、悲しみをおびた調べとしては、どんなものがあるだろうか?」

「混合リディア(ミクソリディア)調や、高音リディア調や、これに類するいくつかのものです」
「そうすると、それらの調べは排除されなければならない」
「さらにまた、酔っぱらうことや、柔弱であることや、怠惰であることは、国の守護者たちにとって最もふさわしくないことだ」
「では、柔弱な調べや酒宴用の調べとしてはどんなものがあるかね?」

「イオニア調やリディア調のある種類のものが、『弛緩した』と呼ばれています」
「どうやらドリア調とフリギア調が残されるようです。」
「ぼくはそれらの調べのことは知らない。しかしとにかく、君に残してもらいたいのはあの調べだ。すなわちそれは、戦争をはじめすべての強制された仕事のうちにあって勇敢に働いている人、また運つたなくして負傷や死に直面し、あるいは他の何らかの災難におちいりながら、すべてそうした状況のうちで毅然としてまた確固として運命に立ち向かう人、そういう人の声の調子や語勢を適切に真似るような調べのことだ。そしてまたもう一つは、平和な、強制されたのでなく自発的な行為のうちにあって、誰かに何かを説得したり求めたり----相手が神であれば祈りによって、人間であれば教えや忠告によって----しながら、あるいは逆に、他の人が求めたり教えたり説得したりするのにみずから従いながら、そしちてその結果が思い通りにうまく行って、その上でけっして驕りたかぶることなく、これらすべての状況において節度を守り端正に振舞って、その首尾に満足する人、そういう人を真似るような調べだ。これら二つの調べ----(省略)----何かそのような調べを残してくれたまえ。」
「あなたが残すように求めておられる調べは、私がいま挙げたものと別のものではありません。」
「そうするとわれわれには歌と曲調のなかで多くの弦を使うことも、あらゆる調べ(音階)を含むような様式も、必要ないことになるだろう」
「してみると、三角琴やリディア琴などの、およそ多くの弦をもち、多くの転調を可能にするようなすべての楽器を作る職人を、われわれは育てはしないだろう」
「ではどうだろう。君は笛を作る職人たちやその演奏者たちを、国の中へ受け入れるかね?それとも、この笛こそは、いわば最も『多弦的』な楽器であり、あらゆる転調をこなせるような他のさまざまの楽器そのものが、この笛を真似たものといえるのではないかね?」
「そうすると君にはリラとキタラとが残されて、都市で用いられることになる。他方また田舎では、牧人たちが一種の牧笛を持つことになるだろう」



 ううむ。。。


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音楽のハナシ03 古代ギリシアの音楽(3)

 楽曲を楽譜として記録する方法を記譜法(きふほう)といい、これは時代や地域によって様々なものがあります。私たちが今日、最も一般的に接する、五本の線の上または間におたまじゃくしを書く「五線記譜法」も、生まれたのはごく最近のこと。それまでは全く異なる記譜法が用いられていました。

 このギリシアの時代に用いられたのは、文字譜(letter notation)という記譜法です。これは音名に対応するアルファベットなどの文字を石板や羊皮紙などに書き連ねるもので、音の高さはわかりますが、リズムなどは不明。当時としては画期的、でも今日からみると非常に曖昧な記譜法といえます。しかも今日この時代の楽譜のうち、現存しているのは、デルポイで発見されたアポロン讃歌などごくわずか。これではそれらの音楽をある程度まで想像することはできても、完全に再現することは残念ながら不可能で、一昨日から試聴欄に「ホントにこんな感じだったのかは知りませんが雰囲気だけでも」と書いているのはこうした理由からです。器楽用と声楽用の2種類の記譜法があり、器楽用はフェニキア文字で音名を記し、声楽用は歌詞の上に、それに相当する音名をイオニア文字で記していました。


古代ギリシアの文字譜
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 リラとアウロスの話から、楽器についてばかり書いて来ましたが、さきほど声楽用とあったように、この時代の音楽は、詩や舞踊、特に詩と切り離しては考えられないほど、強い関係性をもっていたようです。ホメロスなどの詩も、朗読されるのではなく、必ず何かしらの旋律とリズムを伴って歌われていたようですし、時代とともに詩が高度な韻律を用いて複雑化すると、それに伴って、そこに付される音楽も、特にリズムの分野が目覚ましい発展を遂げました。また同じく後期になると、ある歌の旋律を同時に楽器がなぞって弾いているときに、ときたまその一部を楽器が装飾して弾くようになり、その結果、前回述べた単純なモノフォニー(単旋律)ではなくなるといったことが起きました。しかしこれはまだポリフォニー(多声音楽)と呼べるものではなく、ヘテロフォニーと呼ばれています。またオクターヴで重ねて奏されるマガダイジングという演奏法もあったようですが、やっぱりこれもポリフォニーとは異なるものでした。


ピタゴラス
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 この時代にはギリシアならではの音楽理論や特徴が生まれています。鍛冶屋の様々な金槌の音を聞いたピタゴラスは、その金槌の重さの比率から「ピタゴラス音律」を考案しました。また一方でアリストクセノスは数学的なピタゴラス音律を批判し、自らの耳に頼って音を作るべきと説き(「ハルモニア原論」)、また詩を朗読するときの韻律(長い、短い)からリズムを理論的に体系化しました。(「リュトモス原論」)また今日私たちの耳になじみのある音楽は、長短2つの旋法に集約された音楽ですが、この時代は旋法が豊富に用いられていました。例えば以下のようなもので、ピアノをお持ちの方は弾いてみると、それぞれに表情があり、今日の耳からは神秘的な雰囲気のある音階であることが分かります。


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 こうした旋法による音楽や理論は、その後のキリスト教の誕生と受容を経た中世ヨーロッパにまで引き継がれることとなります。グレゴリオ聖歌などに代表される中世ヨーロッパの、あの神秘的な響きは、和声的ではなく、一本の旋律の流れ、先行する音と後続する音との継時関係を重視したこうした旋法による文化がもたらしたものなのです。このような旋法性重視の音楽は、16世紀に機能和声に基づくカデンツの音楽に代わられますが、機能和声が最後の頂点と限界を極めた頃に再度復活します。19世紀後半のドビュッシーやレスピーギらの作品に見られるあの独特な旋律線の雰囲気もまた、この古代の旋法たちに由来するものなのです。


[試聴]
First Delphic Hymn to Apollo
http://www.youtube.com/watch?v=8I0EgfFsJMk
※「Hymn(ヒム)」とは賛歌などの意味です。

音楽のハナシ02 古代ギリシアの音楽(2)

 ギリシアの人たちは神様とともに生きていたので、このアポロン、ディオニュソスについては、この時代の重要な楽器にも当てはまります。アポロン信仰の基礎となり象徴となった楽器が撥弦楽器のリラやキタラ。ディオニュソス信仰の象徴は管楽器のアウロスです。リラというのは小さな竪琴で、大きな竪琴をキタラといいました。またアウロスというのは今日でいうオーボエのようなリード楽器(葦で作ったリードという薄い振動体を震わせることで音を出す楽器)です。


リラ
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アウロス
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 こう考えると、オルフェウスの神話も納得です。亡くなった妻を取り戻しに冥府に出向き、悲しみに溢れる曲で恐ろしい地獄の番犬ケルベロスや渡し守、冥府の王様や王妃までしんみりとさせて妻を取り返したものの、最後地上の光を見て嬉しさのあまり、決して振りかえってはならないと言った地獄の王との約束を破って妻の顔をみちゃって失敗というあの話も、弾いた楽器はリラまたはキタラなのです。うっかりアウロス吹いたら大変です。わんこは興奮して庭駆け回り、地獄はどんちゃんさわぎで誰も話なんてきいてくれなかったでしょう。知性的な弦楽器の調べと、直感的で煽情的な管楽器の対比というのは、今日の感覚としても通じるところがあると思います。


地獄のわんこにリラ(キタラ)を演奏して聴かせるオルフェウス
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・・・・・・。

囲まれすぎっ!( ̄△ ̄;)




オルフェウスのリラ(キタラ)と首
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 ところでこの時代はまだ基本的にモノフォニー(単旋律)の時代。つまりハーモニーがなくて、一本の旋律線を基本的には一人で演奏するという音楽です。一方で、パート(声部)が複数あって重なって奏される音楽をポリフォニー(多声音楽)といいます。これについてP.H.ラングという人はこう書いています。


「今日の聴衆なら、ただ一人のアウロス吹きや、キタラ弾きにできる程度の単純な表現手段でもって、多彩、強力な近代管弦楽の創り出すものにひとしい深い印象を喚起しえたことを信じなさいと言われても、とまどうばかりであろう。しかしわれわれは、ハーモニーもポリフォニーも知らなかった時代のことを取り上げているのだということを忘れてはならない。古代の聴衆は、われわれにはわからないある熱心さで非多声的な音楽のメロディに聴き惚れ・・・(中略)・・・ギリシャ人は、旋律線のごくわずかなデリケートな動きを楽しむ能力をそなえていた。つまり彼らの耳は、和声的、多声的に訓練されたわれわれの耳にはとても知覚できないような、わずかな抑揚や色合いの変化をとらえるほど鋭敏なものであった。」



 その耳、欲しい。。。( ̄¬ ̄*)


[試聴]
Ancient Greek Music - Delphic Paean
http://www.youtube.com/watch?v=uJLZGBYxfbU
※ホントにこんな感じだったのかは知りませんが、雰囲気だけでもと思い・・・

音楽のハナシ01 古代ギリシアの音楽(1)

 というわけで、ちょっと昔の音楽をまとめてみました。繰り返しますが、専門家でないので、間違いがあってもご容赦ください&お願いですから教えてくださいm(__)m

 さて西洋音楽の始点をどこに置くのかということは難しい問題のようで、結局私たち人間は洋の東西を問わず、原始の段階から音楽に親しんで来たのだと思います。つまり何かしらのリズムなり旋律というものは、時に祭事のリズムとして、また時に呪文やおまじないの音律として、原始の生活と一体不可分な行為として行われてきたんじゃないでしょうか。ただこの時代の音楽はよくわからない。なぜかというと建築物や壁画などと違って、音は発せられた瞬間から減衰し消えちゃうので記録する(=録音する)ことが容易ではないとのこと。先史時代はともかく有史時代に入っても状況は同じですが、例えば紀元前3000年頃から始まるあのエジプト文明あたりになりますと楽器の演奏を描いた壁画なんかが遺されているようです。さらに時代は下って古代ギリシア。このあたりからいろんな文献も出ていますし、この時代に書かれた書物にも音楽は度々登場します。というわけでまずは古代ギリシアの音楽を、図書館などに調べにいくのはめんどくさいので我が家の本棚と記憶の範囲内だけでまとめたいと思います。手抜きですみません。


 大学時代の一時期、プラトンをゼミで扱ったことがありました。この時、最初に面食らったのが今から2000年以上前の文化だから基本的に考え方が違うというか、不思議ワールドが広がっていたこと。中には度々現れるイデアの光だのといった話に辟易し、修了時の論集に「いずれにせよプラトンは電波系である。以上。」と書いてしまった豪の者もおりました。でも良く読み込んでいくと実は後のクラシック音楽にも脈々と続く要素が数多くあり、西洋の文化や気質の源はやはりギリシア人なんだなあと実感した次第です。

 ところでギリシア時代の神話に登場する芸術の神をムーサ(Musa)といい、この英語名を「ミューズ(Muse)」といいます。後に9人の女神となって芸術全般を統括するムーサ達ですが、最初は3人しか存在せず、一人は「工夫」、一人は「記憶」、そしてもう一人は「歌(アオイデー)」という名前を持っていました。工夫と記憶は諸芸術に通じる汎用的な要素ですが、最後のアオイデーさんだけは違います。ムーサはそもそもが紛れもない音楽の神であったということで、その音楽の神を芸術全般の神に選んだということは当時のギリシアの人々がいかに音楽を高位の芸術として考えていたかということでしょう。今日の「ミュージック(music)」の語源は、このムーサ、ミューズにあります。エジプトはナイルのたまものですが、音楽はムーサのたまものといった感じ。ムーサさまさまです。

 もう一つの要素としては、ギリシア人の気質が挙げられます。ギリシアというのは多種多様な人種が集まってできた文明だったようで、イオニア人、リディア人、アカイア人、ドーリア人などたくさん登場します。また地図を見れば明らかなように、地理的にはヨーロッパ南方の地中海沿岸の非常に暖かい地域に位置します。青く澄んだ海、降り注ぐ太陽を浴びて輝く真っ白なレンガの家並みとオリーブの実。そんな「紅の豚」的なロケーションの南方民族です。

http://www.youtube.com/watch?v=cSaGjZKmEag

だからなんでしょうか、プラトンやアリストテレスなんかのイメージからすると非常に理性的でクールな印象がありますけど、お祭りとお酒と歌と踊りが大好きな陽気で狂騒を好む一面も持ち合わせていたようです。この二面性が重要で、ギリシアの理性と知性を重んじる面を神様の名前をとって「アポロン的」、混沌として狂騒を好む面を「ディオニュソス的」とよくいいます。ちなみにディオニュソスは酒神バッカスの異名で、プラトンの著作を読んでいても、このディオニュソス的な面をいかにしてアポロン的理性と知性によってコントロールするか、または後者を優先するかといったことが何度も出てきます。こうした対照性というのは後の西洋音楽でもいろんなところに見られます。ヨーロッパの精神の源もまたギリシアにあるようです。(もっといえばエジプトに由来するのでしょうが。)

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[試聴]
Ancient Greek music - Lament
http://www.youtube.com/watch?v=xotPWR5I8RY
※ホントにこんな感じだったのかは知りませんが、雰囲気だけでもと思い・・・

そういえば音楽史って・・・

 この間、あるピアノのコンクールを受けているお子さんとお話する機会がありました。そのコンクールは音楽史上の四期が学べるというのが特徴。課題曲もバロック、古典、ロマン、近現代の四期の中から、地区予選で2つ、地区本選で残りの2つを選ぶというふうに、全てを網羅する設計になっているんです。また特徴としては近現代の曲、特に我が国の邦人作曲家の作品を積極的に課題曲に取り入れるなど、とても優れた教育思想を持っていると思います。このコンクールを受けさせる地域のレスナーさんにしても、自然と音楽史についてレッスンで触れる機会が多くなり、とても良いことなんじゃないでしょうか。

 ところで私だけが特殊なピアノ教育を受けたわけじゃないと思うんですが、小さい頃からピアノを習ったのに、音楽史というものがピアノのレッスンに登場した記憶がありません。例えば「この時代の曲は、右手と左手が独立してそれぞれ主役で・・・」とかはあったと思います。でもなんで私たちの耳に馴れた音楽は右手(メロディ)と左手(ハーモニー)との主従関係がハッキリしているのに、大昔の音楽はそうじゃないのかといったことの説明はありません。これはもちろん当然のことで、30分~1時間の個人レッスンという形態で、そんなことをやり出したら、一曲仕上げるのに途方もない年月を要すると思うんです。個人的にはそれはそれで素敵なレッスンだなと思いますが、通わせている親御さんの心配ははかりしれないでしょうし。

他の教室に通っているXXちゃんはもう6曲も弾けるのに、ウチの子はまだ1曲も弾けないなんて・・・orz

 なあんて。

 でもやっぱり、素人の私ですが、音楽を聴いたり弾いたりすればするほど、音楽史の理解というものがとても大切なことのように思え、このような状況ってなんだか違和感を感じるのです。というのも「西洋クラシック音楽」というのは、本来西ヨーロッパという世界の端っこで作られた1地域の「伝統芸能」のはず。たまたまヨーロッパ人が世界中を征服しまくったおかげで、今日グローバルスタンダードな音楽になったという一面もあります。逆に日本が世界を征服しまくってたら、今日、英語ではなく日本語が国際標準語になっていたり、能や歌舞伎、雅楽といったものが全世界で標準化されていたかもしれないわけで、そう考えた時に、例えば能や歌舞伎について、「世界のハズレの」ヨーロッパの人々が、その歴史や精神、日本という固有の文化についてを知らずに、単なる発声法や動作だけをレッスンしていたら、それってどうなんでしょうか。(まあここまで言っておいてナンなのですが、例えばアボカドのお寿司が意外とイケたりするように、日本節の効いたクラシックというものも味わいがあるのかもしれませんけども。)

 最後に冒頭のお子さんとのお話。とても良く勉強されていて、また自分でも考えていてすごいなあと思うのですが、一つだけ気になる発言が。


「クラシックって、バロック時代に生まれたんだよね。」


 うん。私も昔そう思ってた!(´~`ヾ)

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

漆塗りのヤマハアップライトピアノ

 あるお宅にコンサートの打ち合わせでお邪魔した。そこで非常に珍しいものを発見。なんと漆塗りのヤマハピアノ。高さ121cmのモデルだ。

漆塗りのヤマハアップライトピアノ


 元々、家庭用にピアノが日本に入ってきたときは、ピアノは全て木目だった。ヨーロッパの家庭では今でも木目がほとんどだからだ。コンサート用の場合は、女性のドレスを引き立たせるためとか、男性の正装時の色と合うためなどの理由から黒いピアノだが、本場ヨーロッパでは木目が普通なのである。それがなぜ日本のピアノは黒いのか。湿潤すぎる日本の気候のために漆を塗ったとか、もともと黒光りするものが高級とする文化があったためとか言われているが、世界広しといえど、ここまでピアノが真っ黒という国も珍しいのだという。

 それはさておき、現在の黒いピアノは漆塗りではなくポリエステル系の塗料を使っているので、ギラギラと真っ黒い鏡面つや出しとなっている。でもこうしてみると、時を経た漆塗りのなんと味わい深いことか。

「ヤマハ」のロゴ
漆塗りのヤマハアップライト

譜面台の両端の作りこみなど、ディテールへのこだわりがある
漆塗りのヤマハ

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

アッピー音楽教室発表会

 師走というだけあってこのところ昼も夜もなく働いているけれど、一向に暇になる気配がない。貧乏暇なしとはこのことで、このまま年末まで行ってしまうような気がします。不定期更新のブログだけれど、今日は少しだけ時間が取れた。

 今日は長野市にある篠ノ井文化会館というホールで、日ごろお世話になっているアッピー音楽教室さんの発表会があり、お手伝いに行ってきた。楽器の搬入搬出を手伝ったり、グランドピアノの天蓋の開け閉めを手伝ったり、なぜかひょんなことから先生の譜めくりを手伝ったりと、忙しいけれどとても充実した時間。小さなお子さんから中高生まで、幅広い層の生徒さんが、それぞれに音楽を楽しむ瞬間に立ち会えて元気をもらえた一日だった。

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※写真はリハーサルの風景

テーマ : 音楽 - ジャンル : 音楽

ブラーヴァ、ブラーヴィ、ブラーヴェ、ブラーヴォ・・・

 今日は職場もゆったりとした流れだったのでここはひとつ何か勉強でもしようかと思っていたところ、ちょうどクラシック音楽情報誌の「ぶらあぼ」が届いた。それを見てイタリア語に詳しいスタッフの一人が話し出したのが、ブラーヴォ!の変化について。ブラーヴォというのは、男性単数に対して使うもので、相手が女性の場合や、複数の場合では言い方が変化するというもの。

じゃん!

ブラーヴォ!・・・相手が男性一人に対して使う。
ブラーヴァ!・・・相手が女性一人に対して使う。
ブラーヴィ!・・・男性複数、または男女混合に対して使う。
ブラーヴェ!・・・女性複数に対して使う。

ちなみにブラーヴ!というのだけはないのだそうである。
というわけで、その方を囲んでイタリア語を学ぶ会「ブラー部」を設立。
いつまでつづくか分からないけれど、ちょっと賢くなった日曜日であった。

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

達成!

仕事で乗っている車。ちょっと嬉しい。

123456km

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等級・・・ゆうこ!?

 何気なく職場に積まれた箱を眺めていると・・・。


等級:ゆうこ



 等級・・・・・・ゆうこ???(゜ロ゜ノ)ノ


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核兵器の脅威を身近に感じられるサイト

<「軍事学入門」 防衛大学校・防衛学研究会編より>------------
「平和を希求し、真剣にMDW(*1)の縮小、次いで廃絶に貢献しようとするのであれば、軍縮、軍縮と唱えるだけでは不可能で、軍縮を達成しようとする兵器を『如何にすれば縮小・廃絶させうるか』を具体的に研究し、相手に必要性を説明して納得させ、縮小・廃絶に向かう実態を監視して確実に実行させなければならないことを教えている。」
*1:MDW=Mass Destruction Weapons(大量破壊兵器)


 恐ろしいサイトを紹介いただいた。ページ上部を自分の住んでいる地域に合わせてボタンを押せば、その地域が現在何発の核兵器の射程に入っているかが確認できるというものである。しかも丁寧に内訳まで表示され、「*** from long range ICBMs(長距離大陸間弾道弾が何発)」、「*** from short range missiles(短距離ミサイルが何発)」、「*** from bomber aircraft(爆撃機搭載の核兵器が何発)」、「*** from nuclear submarines(原子力潜水艦搭載の核兵器が何発)」、それぞれ狙っているかが分かる。さらに丁寧なのはどの国の核が何発と、狙っている国まで分かるのである。試しに私の住んでいる地域「Nagano,Japan」と入れると・・・ダメだ、あまりの恐ろしさに書くことができません。結果はご自分でお調べください。

http://nukeometer.com/

 今年の4月に米国のオバマ大統領は核のない世界を目指す旨の演説を行った。そこでオバマ氏は「アメリカが核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言する。」と言った。「言うは安く行うは難し」とはこのことで、米ロを始めとする保有国の核削減やら包括的実験禁止条約の批准・発効やらを基軸とする非核世界への到達というものが、いかに実現可能性の低いものであるかは一目瞭然。歴史が示している。例えば1968年に核不拡散条約(NPT)が締結されたけれど、既保有国には継続して核保有を認めるという保有国に有利な内容である以上、みんなが納得できるものではない。また1996年のCTBT(包括的核実験禁止条約)に至っては、発効の要件が「ジュネーヴ軍縮会議の構成国であり、かつ国際原子力機関の『世界の動力用原子炉』および『世界の研究用原子炉』に掲載されている44ヶ国すべての批准」としているにもかかわらず、イスラエル、イラン、インド、パキスタン、中国、北朝鮮など10ヶ国が批准していない。アメリカが批准すれば他の9カ国がそれに倣うかといえば、そんなことはあり得ないだろう。現にオバマ演説の翌月、北朝鮮は核実験を実施している。米ロの核兵器削減交渉にしても同じである。SALTからSTARTと名前を変えつつ、もうじき40年になるが、いまだに核兵器は0になっていない。40年間やってきて0にならないものを、向こう数年の任期の中で、オバマ氏はどれだけ削減できると思っているのだろうか。演説で理念や倫理を訴求することはいくらもできようが、倫理観の欠如した国家を相手に、どうやって実効性のあるプロセスを用意したらよいのだろうか。(とはいえ私だって対案なき批判者。オバマ氏を批判する資格はないのだが。)

 以前、どこかのブログの書き込みで核兵器を超える兵器が登場しないことには核廃絶は不可能だというコメントを読んだことがある。悲しいけれど、それが現実なのだろうか。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

ここ2~3年のお仕事から

 ブログを毎日書いていらっしゃる方は、本当に凄いなあと思うこのごろである。というのも8月あたりが年間を通して幾分余暇を取りやすい時期であったため、これを期にブログを毎日頑張ろうと思ったものの、早くも話題に困ってきた。休みの日にため書きしてたまに「予約投稿」などという卑怯な手を使いながらも、なんとか8月いっぱいまではほぼ毎日続けることができたが、そろそろ限界である。仕方がないので、今日はここ2~3年の間に仕事で様々な演奏家の方に行った過去のインタビューをご紹介。全てゆかり深い地元の楽器店ヒオキ楽器のサイトに載っている。いずれの演奏家の方々も、お時間のない中、本当にありがとうございました。

 まずはロシアの気鋭のピアニスト、ニコライ・トカレフさんへのインタビュー。この日の演奏会も素晴らしく、インタビュー中にも出てきた「シェエラザード」の超絶技巧ピアノ編曲版が特に印象に残っている。(http://hiokigakki.com/topix/tokarev/ivent002.htm

 続いては、先のショパン国際ピアノコンクールで入賞を果たしたピアニスト、山本貴志さんへのインタビュー。リハーサルを聴かせていただいたが、素晴らしい音色に感激した。(http://hiokigakki.com/topix/yamamoto/2006concert/interview.htm

 続いては同じく先のショパン国際ピアノコンクールにて優勝したポーランドのピアニスト、ラファウ・ブレハッチさんへのインタビュー。音楽に対する真面目で真摯なお気持ちが伝わってくる一時だった。(http://hiokigakki.com/topix/blachacz/interview.htm

 次は、ピアニストの清塚信也さんへのインタビュー。のだめカンタービレの千秋真一役のピアノなどで活躍される清塚さんだが、ざっくばらんにいろいろなお話をきくことができた。お人柄のゆえだろう。(http://hiokigakki.com/topix/kiyozuka/interview.htm

 最後に日本が世界に誇るサクソフォン奏者、須川展也さんへのインタビュー。本番直前に突然インタビューをお願いするということになったにもかかわらず、お引き受けくださった。当日の表現力溢れる演奏が忘れられません。(http://hiokigakki.com/topix/sugawa/interview.htm

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

管楽器職人さんの楽器

 普段から厳しい眼差しで管楽器と向き合う技術者さん。その職人さん所有のトランペットが、珍しく工房に置いてあった。仕事に厳しい姿勢で黙々と臨む職人肌の方だから、きっと抜群のメンテナンスが施されているのだろう。

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 ん?


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 リラックマっ!?(@へ@;;;



テーマ : 楽器 - ジャンル : 音楽

みそら野

 このところ長野県北安曇郡にある白馬村というところの現場に仕事でよく行っている。そこで見つけた地名。なんて音楽的な地名なんだろうか。ちなみに信号が縦長なのは雪深いので、横長だと重みで信号折れちゃうのです。


みそら野


E(ミ)G(ソ)A(ラ)・・・・・・何かのモチーフになりそうだ。

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

木のいのち木のこころ 小川三夫(著)

 素晴らしい本だった。人様から借りた本なのに、3回も4回も読み返してしまった。法隆寺を現代まで守り抜いた宮大工。その棟梁が書いたこの本には、宮大工一筋に生きるご自身の、仕事にかけるこだわりと情熱が漲っている。深みのある言葉の数々に、大工以外の仕事に就く私にもはっとさせられることが多く、とても力づけられた。実はこの本の前に、本書の著者の小川氏の師匠である故・西岡棟梁が書いた本もあって、両方とも職場の方が薦めてくれたのである。


木のいのち木のこころ


 「自分で考え、体で覚えたことは、まだなんぼでも伸びていく。だからある意味では知恵なんかなくったっていいんだよ。そのほうがずっと身につくし、自分で考えるようになる。」(同書より引用)

 飾らない話から伝わる、深い言葉がたくさんつめられている。

テーマ : 読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

懐かしき「FM fan」

 連休は素晴らしい。時間がゆっくりと流れていく。というわけで、今朝は後期バロックの作曲家フランチェスコ・ジェミニアーニの合奏協奏曲を聴きながら、数ヵ月ぶりに朝食をとっている。酒飲みの朝食はやっぱり和食・・・というよりも、味噌汁を飲みつつ納豆御飯を食べるのがこの上なく幸せである。


納豆御飯


 ところで昨日までの二日間、CDやテープなどを保管してある倉庫の大整理を実施した。というのも屋根裏に加えて6畳間が一つまるまる塞がってしまっていて、いよいよ奥さんの目が怖くなってきたのである。2日かけてもう二度と聴くことがないだろう録音や、本当は持っていたいがスペースの関係上、やむにやまれず処分したものも合わせて、長野市指定のゴミ袋(大)で17袋分。その他は全て屋根裏に持っていき、リビングにはよく聴くCDだけを残した。一念発起の大処分である。さようなら・・・わがコレクション・・・。

 とはいえ、忘れていた録音を久しぶりに再発見したり、懐かしいものがでてきたりと、それなりに嬉しいこともたくさんあった大整理。例えばこんなものを見つけた。


FM fan


 今から10年前の「FM fan」という隔週刊の雑誌。2001年に休刊となってしまったそうだが、インターネットが普及しておらずホームページで番組表を見ることができなかった時代、この雑誌には本当によくお世話になった。NHK-FMの2週間分の放送予定が、各楽曲の演奏時間に至るまですべて記載されており、しかもクラシック音楽の番組は丁寧に赤で印字されている。クラシック音楽ファンにとっては至れり尽くせりの雑誌だった。これをもとに120分テープをタイマー予約して欲しい音源をエアチェックしていたのが本当に懐かしい。(実際には120分テープをいくつもタイマーかけてほぼ全ての番組を録音し、夜に帰宅してから、寝る間を惜しんで楽曲部分を60分とか90分のテープに落とし込んでいた。完全なるFM漬であった。)


FM fan 1999.2.10


 それにしても上の写真を見て気づくのは、クラシック番組が豊富であることだ。番組の枠もそうだが、内容も名曲からマニアックな曲までを見事なコーディネイトで放送している。この頃のNHK-FMは、こうしたコーディネイト力が素晴らしく、練りに練り上げられた内容だった。例えば、上の写真にある1999年2月10日(水)の放送。早朝のFMリサイタルの再放送の後、「あさのバロック」に始まり、クラシックポートレート、クラシックサロン(再)、FMリサイタル、クラシックサロン、ベストオブクラシックと、平日なのに7つも番組がある。内容にしても例えばラヴェル作曲のシェエラザードだとか、R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタ、シューベルト、プーランク、ドビュッシー、マルトゥッチの歌曲、ドニゼッティの弦楽四重奏など、マニア心をくすぐるものが溢れている。

 一方で本日のNHK-FMはというと、ある程度の規模でのクラシック番組が4つしかなく、内容もなにがし作曲の何々から第2楽章のみ・・・といったものが多く、さらに余計なトークが延々と続いたりする。これでは全くエアチェックする楽しみがない。NHKさん、お願いですからやるなら全楽章やってください。トークは楽曲解説に時間を割いてください。というか、お願いですから昔のようにクラシックの番組を増やしてください。


 最後に日曜日にあたる1999年のバレンタインデー。


FM fan 1999.2.14


 クラシック番組で真っ赤。

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困った

車で迷った(汗)

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第26回夏の夕べのコンサート(桐朋長野教室)

 桐朋学園大学と同付属高校に通う長野県出身の生徒さんが集まる「夏の夕べのコンサート」に行ってきた。毎年夏に開催され、今年で26回目を迎えるこのコンサートであるが、今回はメンデルスゾーン、ショパン、ブラームス、フランク、初期のスクリャービンといった、ロマン主義時代の音楽がズラリと並ぶ豪勢なメニュー。様々な経緯から毎年聴いているが、高校生や大学生である彼女らが、大作曲家の遺した大作を、一生懸命に、しかも素晴らしい水準で弾いてくれる姿を見るにつけ心を打たれる。当然、プロフェッショナルとしてはこれからのみなさんであるから、中には緊張のあまり普段の力を存分に発揮しきれず悔しい思いをされた方もおられよう。だが演奏そのものの出来不出来とは別の、出演者一人ひとりにそれぞれのドラマがあって、大いに感動した一夜だった。音楽を志す学生にこうした機会と場を提供することの意義の深さを改めて実感した。当日の動員は680名であったという。今後ますますこのコンサートが人口に膾炙し、発展していくことを切に願う。

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その他???

少し前にプリンターを買った。
めったにしないユーザー登録をしようとなぜか思った。
でもって、某エプソンさんのユーザー登録画面で思った・・・。

性別:その他





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