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ブラームス 6つの歌曲Op.3

 ブラームスが20歳の年に書かれた6つの歌曲は、あのブラームスも青春していたんだなあと肌で感じ取れる歌曲集。特に第1曲「愛のまこと」が有名で、恋する娘に恋など捨てなさいと諭す母親と、恋に生きる娘の受け答えという形となっている。ピアノ(弱く)で歌われる母の言葉と、ピアニッシモでそれに対する娘の返答。母の言葉はピウ・モッソ(今までより早く)、アジタート(激しく)・・・と次第に激しさを増すが、最後は娘も強気のフォルテで返答する。

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O versenk', o versenk'
dein Leid, mein Kind, in die See, in die tiefe See!

Ein Stein wohl bleibt auf des Meeres Grund,
mein Leid kommt stets in die Höh'.

Und die Lieb', die du im Herzen trägst,
brich sie ab, brich sie ab, mein Kind!

Ob die Blum' auch stirbt, wenn man sie bricht,
treue Lieb' nicht so geschwind.

Und die Treu', und die Treu','s war nur ein Wort,
in den Wind damit hinaus.

O Mutter und splittert der Fels auch im Wind,
meine Treue, die hält ihn aus, die hält, die hält ihn aus.


おお、沈めなさい。おお、沈めてしまいなさい。
あなたの苦しみを、私の娘よ、海の中に、海の深みに!

石ならば海の底にとどまるでしょうけれど、
私の苦しみは常に浮かんでくるのです。

ならばあなたが胸の中に抱きしめている苦しみを、
折りなさい、折ってしまいなさい、私の娘よ!

花は人が折れば枯れますけれど、
真実の愛は決して儚くはないのです。

真実、それは言葉だけ、
ただ風で飛んでってしまうだけのもの。

おお、お母様、風で岩が割れたって、
私の真実は、それにも耐えるのです。

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訳が違っていたらすみません。
ちなみに現代の親子なら、こんな感じでしょうか。


母「アンタ、何ふさぎこんでんのさ、こっちは忙しいってのに。恋?そんなモン、今すぐ海に沈めちまいな!」
娘「だってえ・・・石なら沈むけど、アタシの苦しみはすぐ浮かんできちゃうんだもん・・・。」
母「じゃあ、折っちまえばいいだろ、そんなもん!ホラホラ、洗濯手伝いな!」
娘「テキトーなこと言わないでよ!アタシの愛は、真実の愛なのっ!!」
母「はあ~~??何いっちゃってんだろうねえ、コノ子は。そんなもん風吹きゃ飛んでっちまうよ!それより夕飯の買い出し言っといで!」
娘「なんですってえっ!?例え岩が割れちゃうような暴風だって、アタシの愛は耐えられるんだもん!もういい!お母さんとは口きかないっ!」


ただの親子喧嘩っ!?∑( ̄□ ̄;)
※違います。(by はるりんさん)


[試聴]
http://www.youtube.com/watch?v=bIfjiAq0rGg

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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

ブラームス ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調Op.5 | デトレフ・クラウス(Pf)

「彼は誠に立派な風貌を持っていて、みるからに、これこそ召された人だと肯かせる人だった。ピアノに坐ると、さっそくふしぎな国の扉を開き始めたが、私たちはいでてますますふしぎな魔力の冴えに、すっかりひきずりこまれてしまった。彼の演奏ぶりは全く天才的で、悲しみと喜びの声を縦横に交錯させて、ピアノをオーケストラのようにひきこなした。」(シューマン著「新しい道」より抜粋 *1 )

 この間の記事で、ブラームスの人生の転機の一つが、ヴァイオリニストのレメーニと出かけた演奏旅行のことを書いたけれど、この演奏旅行は波乱に満ちたものだった。そもそもがハンガリー革命にかかわって追放されてきた流浪のヴァイオリン奏者と、かたや引っ込み思案でネクラなブラームス。うまくいくはずがないのである。1853年4月19日にハンブルクを立った二人であるが、それでも幸いだったのはレメーニがウィーン音楽院時代の学友で、当時既に世界一流のヴァイオリニストとなっていたヨーゼフ・ヨアヒムのいるハノファーを訪れ、彼と会わせてくれたことだろう。レメーニにしてみればハノーファーで演奏会を開催する糸口をと思ってヨアヒムを訪ねたというのが本音なのだろうが、当のヨアヒムは2歳年下のこの無名の作曲家の中に、しかと天才を感じ取りすっかり意気投合するのである。これがのちのブラームスにとって重要な助けとなる。結局レメーニが革命に関わっていた人物ということで演奏会は開けず、そればかりか二人は強制退去を命じられてしまうのだが。

 その後二人は当時のヨーロッパ音楽の帝王フランツ・リストを訪ねるが、ここでもブラームスの引っ込み思案が災いしている。リスト本人からの要望で作品を聴かせてほしいと言われたのに、ブラームスはアガってしまって弾けない始末。最終的にはリスト自身が「初見で」ブラームスの作品4のスケルツォを見事に演奏したという。こうしたブラームスの奥手ぶりについにレメーニが愛想をつかし、ブラームスは演奏旅行の途上で別れを告げられてしまうのである。その後、ヨアヒムのところに身を寄せたブラームスは、秋になるとライン川流域を旅し、そこでシューマンの作品に出会う。これがきっかけとなってブラームスはシューマンの住むデュッセルドルフを訪ねることになるのだ。

 秋も少しづつ深まり出す9月30日。ブラームスはついにシューマン家を訪問する。そこにはローベルトとクララの夫妻がいて、ブラームスは作品1のソナタを弾いたことは前に書いた。これに感動したシューマンは、10月28日付の「新音楽時報」(シューマンが創刊し、現在刊行されているドイツの有名な音楽雑誌)に「新しい道」というタイトルでブラームスを紹介する記事を書いた。

「すると果して、彼はきた。嬰児の時から、優雅の女神と英雄に見守られてきた若者が。その名は、ヨハンネス・ブラームスといって、ハンブルクの生まれで、そこで人知れず静かに創作していたが、幸いにも教師にその人を得、熱心にその蘊蓄を傾けてもらったおかげで、芸術の最も困難な作法を修めたすえ、さる高く尊敬されている有名な大家の紹介によって、先日私のところにきたのである。」(*2)

 こうして無名の作曲家から一躍世間に知れることとなったブラームスにとって、この1853年という年は、どれだけ充実し、また激動の1年だったのだろう。

 この時期に、このデュッセルドルフで書かれたのが今日聴いたヘ短調のピアノソナタ。1番、2番を経て若きブラームスがたどり着いた、ピアノソナタの到達点である。

dkraus.gif
http://ml.naxos.jp/album/CTH2287


[試聴]※演奏は今日聴いたものではないけれど
http://www.youtube.com/watch?v=VZ__mkglvaY


*1-2:「音楽と音楽家」(吉田秀和訳・岩波文庫)より引用

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ブラームス ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調Op.2 | リヒテル(Pf)

 なんでまたブラームスという人は作曲家としての人生のはじまりを、3つのピアノ・ソナタで迎えたのだろうか。例えば先輩のシューマンの場合、作品1はあのアベッグ変奏曲であるし、作品2の蝶々、作品3はパガニーニから拝借したモチーフによる練習曲・・・ようやくソナタが現れるのは作品11だ。ブラームスにしたって青春の若々しい爆発ならばもっとこう自由な書き方があっただろうに、ソナタというフォーマルな枠組みの中でわざわざ爆発させたというのは、周囲はTシャツにジーンズ姿なのに毎日スーツを着て学校へ通ってくる大学生のような、すごい青春だと思う。

 それにしてもこの第2番のソナタは、3曲のソナタの中で最も様々なロマンティークなものや感情が丸のままゴロゴロと入っているようだ。カッチリとした形式感の中にあっても、楽章を追うごとにいつのまにか自由な世界に入り込んでいく。そもそも何故、ソナタにしたのだろうか。まだ成人すらしていない19歳の青年が、溢れ出すロマンティシズムを、伝統形式の中にぎゅうぎゅうに押し込んだ結果、この不思議な魅力のある未完成な曲が出来上がった。第1楽章のアタマに記された"Allegro non troppo e energico"という指示にしたって、「速く、はなはだしくなく、そして力強く」と言われても、若いんだからもっと思い切ってどっちかにしようよといいたくなる。それとも後にクララ・シューマンに献呈されるこのソナタ、どっちかになどできなかったのだろうか。

bra_pfs02_01m.jpg


 個人的に好きなのは第3楽章のトリオの「Poco piu moderato(ポコ・ピウ・モデラート)」で始まる美しい旋律。ここにも最高音のAがすぐに減衰してしまうようなところに、ホロホロと崩れてしまいそうな、19歳の想う儚い美しさがある。

bra_pfs02_03m.jpg

[第1楽章]
http://www.youtube.com/watch?v=D63iQngnHgc
[第2楽章]
http://www.youtube.com/watch?v=z_HkEMNo7g8
[第3楽章]
http://www.youtube.com/watch?v=k-SAABsJjag
[第4楽章]1/2
http://www.youtube.com/watch?v=dhjXqHf5J5g
[第4楽章]2/2
http://www.youtube.com/watch?v=7fY4BhUDD7k

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ブラームス ピアノ・ソナタ第1番ハ長調Op.1 | ペーター・レーゼル(Pf)

少し前、同じ職場のOさんにブラームスのCDを何枚か貸してみたところ、見事にはまってしまわれた。そこでこのところ何回かにわけてブラームスの勉強会などを開いている。苦労人ブラームスの味わい深い世界。

 ヨハネス・ブラームスは1833年にハンブルクに生まれ、1897年にウィーンで没した作曲家である。後期ロマン派のドイツ音楽を代表する作曲家として一つの時代を築いたが、幼少期は恵まれない環境にあった。コントラバス奏者だった父親によって幼い頃から音楽教育を受け、早くから音楽に才能を示したが10代前半には生活のために大衆酒場やストリップ劇場のようなところでピアノを弾いて日銭を稼いだという。とにかく貧しかった。およそ未来の大作曲家が少年時代を過ごすにはあまりにも場違いな暮らしと仕事。苦労人としての人生は既にこの頃から始まっている。

 ブラームスの人生の一つの転機となったのが3つ年上のヴァイオリニストであるエドゥアルト・レメーニと、20歳の年に出かけた演奏旅行だ。この演奏旅行によって、ブラームスはレメーニからジプシー音楽を学びハンガリー舞曲集を編曲することになるほか、シューマン夫妻やフランツ・リスト、ヨーゼフ・ヨアヒムなどと出会うのだ。中でもこのシューマン夫妻との出会いは大きかった。夫ローベルトは、早くもこの若い音楽家の中に才能を見出し、また妻であるクララ・ヨゼフィーネ・シューマンとは生涯に渡る親交と愛が始まるのである。かのローベルト・シューマンの妻にして、天才ピアニスト。前に彼女が書いたイ短調のピアノ協奏曲も聴いたことがあるが、知性と美貌に加えて一人何役もこなすマルチロールプレイヤーだった。若いブラームスが、この才色兼備のクララに恋慕するのも当然で、そこには14歳の年の差など関係なかった。(とはいえ奥手でネクラなブラームスであるから、その後数十年に渡って煮え切らないまま二人の関係は終わるのであるが。)

 さてこの20歳のシューマン家訪問の際に、ブラームスが披露したのが今日聴いたハ長調のピアノ・ソナタ。第1番とあるが実際には2番より後に書かれたものらしい。この曲の見事な演奏を聴いたローベルト・シューマンは、「新しい道」というタイトルの評論を雑誌「新音楽時報」に載せて絶賛し、ブラームスが認められる大きな一歩となった。今日聴いた演奏は、敬愛するペーター・レーゼル氏によるもので、クリアで明晰な音色と忠実な演奏が、若きブラームスの響きを瑞々しく描き出している。真面目な演奏の中にも歌心が溢れており、例えば第1楽章の第2主題、「dolce」と記されたイ短調のメロディのなんと甘美で自然な歌い出しだろうか。

[第1楽章]アレグロ
http://www.youtube.com/watch?v=ahFVxBol0SM
[第2楽章]アンダンテ
http://www.youtube.com/watch?v=_ZeU2fg7h2U
[第3楽章]スケルツォ - アレグロ・モルト・エ・コン・フォーコ
http://www.youtube.com/watch?v=D6nCwqs6RgI
[第4楽章]フィナーレ - アレグロ・コン・フォーコ
http://www.youtube.com/watch?v=9W_vhUeUhGg

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ブラームス 交響曲第4番ホ短調作品98 | ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル

 敬愛する指揮者は誰かと聴かれれば、まずはムラヴィンスキーと答える。20世紀の鉄のカーテンの向こう側で、就任から亡くなるまでの50年間もの時間をレニングラード・フィルに注ぎ込んだ孤高の指揮者である。

 完璧主義者ムラヴィンスキーは、1938年にレニングラード・フィルの指揮者に就任すると、士気が緩んでいた同フィルを容赦なく厳しく鍛え上げ、世界最高水準のオーケストラとした。楽曲に対する厳しい解釈と活き活きと躍動する生命力を内在したテンポによる演奏は他に類を見ない。高身長でスマートな体から繰り出される指揮の動作には一切の誇張や無駄がない。一言で言って、格好が良い。独裁者と批判する人も多いけれど、プライベートは質素で温厚。団員とはいつもユーモア溢れる話をして時間を忘れさせるほどだったり、飛行機に乗りたくないと駄々をこねてみたり、やっぱり私はこの人を尊敬し、この人の音楽を尊敬する。


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 今日は1973年4月28日、エフゲニー・ムラヴィンスキーが手兵のレニングラード・フィルとブラームスの第4番を演奏したものを聴いた。もうなんというか、見事である、としか言えない。どこまでもクリアで妥協のないサウンド。古きロシアのオーケストラならではの金管の咆哮がムラヴィンスキーによって適度にコントロールされているのも嬉しい。楽曲の形をシャープにくっきりと浮かび上がらせた演奏である。ディナーミクも見事。燃え盛り雷のように轟くフォルティシモから嫋嫋たるピアニシモまで、オーケストラのダイナミクスレンジを余すところなく発揮している。ムラヴィンスキーの厳格な解釈のもと、団員全員が一丸となった名演。整然と、けれど溢れんばかりの歌心が満ちている。


[試聴]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3603243

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ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68

 毎年4月に行われる大展示会。このため、十分に音楽を聴く時間が取れず、日記を書く暇もなかった。それが本日無事終わり、夕食を同僚・後輩らととった後、帰宅した。だが、どうにも寝付けない。そこで何か無いかと棚を漁って取り出したのが、ブラームスの交響曲第1番だった。(ギュンター・ヴァント指揮/北ドイツ放送交響楽団)

 この曲を作るのに、ブラームスが21年もの長大な時間を費やしたという話は有名だ。ブラームスは交響曲という分野に関してベートーヴェンを強烈に意識していた。ベートーヴェンの遺した傑作「第9番」の後に、まだ交響曲を書いてみようと思うのだから仕方がないといえば仕方がないのだが、その意識の仕方が尋常ではなかった。20代前半に書き始めたものの、推敲に推敲を重ね、出来上がったのは40代。それはベートーヴェンという巨人との長い闘いだった。

 この曲はとても有名だから、名盤とされるものの数もたくさんある。シャルル・ミュンシュ指揮/パリ管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 /ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(87年盤)、ジェームズ・レヴァイン指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、枚挙にいとまがないわけだが、ここ10年あまりは、1996年の4月に、ギュンター・ヴァントが北ドイツ放送交響楽団を指揮したライヴ録音が秀逸だと思っている。この演奏、とにかくテンポが速い。特に第1楽章の冒頭など、往年の名指揮者のテンポを想像していると、あっという間に置いていかれてしまうほどなのだが、それでいてなおヴァント氏の音楽は知的にコントロールされた節度のある造りを失わない。楽曲の構造がとても明確に伝わる、清潔で理性的なブラームス。素晴らしい。

 さて一気に4楽章まで聴きとおしてはみたものの、まだ眠くならない。そこで何か別の録音はないかとナクソスのページを探したところ、イタリアの名指揮者カルロ・マリア・ジュリーニが1979年にバイエルン放送交響楽団を振った演奏があって、思わず全部聴いてしまった。

 絶品だった。

 前述のヴァントの演奏とは好対照で、ゆったりとしたテンポにのせて、歌心溢れる音楽が流れてゆく。こうした特徴は、全ての楽章で実を結んでいるが、まずもって美しいのは第2楽章だ。弦楽、木管楽器とホルンが奏でる、哀愁を秘めたホ長調の調べ。他にも例えば第4楽章のあの有名な第1主題が現れるところなども、はっと驚きを受ける。大抵の演奏ではここは深い重さを伴った力んだ弾き方となるが、ここでの音楽はどこまでもたおやかで柔らかい。

[試聴]カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/バイエルン放送交響楽団
http://ml.naxos.jp/?a=PH05021

ジュリーニ指揮 ブラームス交響曲第1番

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