スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ショパンと牛乳パック

 ショパンイヤーに何か相応しい話題などないものかとごそごそと書庫やらCD棚やらを探しているうちに、随分前に買った一冊の本が出てきた。ピアニストの中村紘子さんがお書きになった「ピアニストという蛮族がいる」という本で、1992年の発行とあるから20年とはいかなくてもだいぶ前の本である。これが本当に面白い。当代一流のピアニストとして国際的に活躍される中村紘子さんだからこそ知りえただろう秘話やエピソードがたくさん載っている。その中に、ショパンを得意とした一人のピアニストがいたことを思い出し、彼の録音を聴きながら読み返してみた。

 彼の名は、ウラディーミル・ド・パハマン。1848年に生まれ、1933年に没した名ピアニストの一人。ここで注目すべきは彼が生まれたのが1848年ということ。完全に19世紀後半のピアニストである。そして先に述べたように、その録音が残されている。パハマンが草創期のSP録音に積極的に取り組んでくれたおかげである。つまり彼の演奏を聴くということは、19世紀のピアニズムを体験できることに他ならず、これほどマニア心をくすぐるものはない。

 さてこのパハマン。ショパンをこよなく愛し、生涯をかけて演奏したのであるが、もう一つ有名なのが、数々の奇行である。どんなものかといえば、
「演奏中に間違うと、自分の間違った方の手をもう一方の手でピシャリと叩いて大声で叱る。」(・_・;)とか、
「ショパンを弾きながら途中を忘れて盛大に間違え、自分で即興的に『作曲』して引き終わった」とか・・・( ̄へ ̄;;

いえ、これで終わりではないんです。その後、
「聴衆に向かって、この方がいいのだ、と演説した」り( ̄ロ ̄;;
演奏中延々と同時代のピアニストの愚痴を言ったりΣ(゚ロ゚ノ)ノ

もう本当にこの人は一体何を目指しちゃってるんだろうという感じです(笑)。

 数々の奇行とともに伝説的な名演を生み出したというパハマンだが、最後に極め付けがある。指を強化するために何故か牧場を経営したパハマン。ある日乳搾りに励む中、何故か「牛乳パック」を発明して特許までとってしまったのだとか。そういえばパハマン"Pachmann"のスペル、ずっと見ていると「パックマン」に見えてくるようなこないような・・・。

(参考)「ピアニストという蛮族がいる」(中村紘子・著 中公文庫)

[試聴]
http://www.youtube.com/watch?v=YgdaNygzBcc
http://www.youtube.com/watch?v=y53RWFwiiOM



スポンサーサイト

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

ショパン 「17のポーランドの歌」Op.74から第2曲「春」

 ショパン生誕200周年である。

 私の職場でもこの話題が尽きず、毎日ショパンに囲まれて過ごしているうちに、確かにショパンの芸術というものは凄いのだけれどこればっかりというのもなあと少し憂鬱な気分になっているのも事実である。食傷気味というのとは少し違って、ショパンの音楽というのは一滴一滴を絞り出すようにして作られたようなその完成度の高さのためか、何度聞いていても感動が劣化することはない。だが孤高の完成度ばかりに身を置いているとふと俗世間の喧騒が恋しくなるというか、まったく節操がない私なのである。そんな中、仕事に疲れてふと手にしたのが、このショパンの歌曲。結局はまたショパンなのかと思うけれど、このショパンが書いた歌曲はピアノを中心とするその他の至高の芸術作品に比すと、極めて親密な雰囲気と人間味に溢れる楽曲である。

100128a.jpg
ゾフィア・キラノヴィチ(ソプラノ)カタジーナ・ヤンコフスカ(ピアノ)

 17のポーランドの歌というのだから当然全部で17曲あるのだけど、今日聴いたのは第2曲の「春」という歌。

「春のささやきを感じる草露輝く牧場で、座して思いめぐらす私。そよ風の中で甘い曲を歌ってみたりもするが、ふとよぎる寂しさに涙が頬を伝い・・・」(要約)

 こんなロマンティークな歌詞(かなり意訳し要約してますが)をもつこの曲は、非常に簡素な筆致による有節歌曲。g-moll(ト短調)の寂々とした響きに乗せて、春の日の孤独感が歌われてゆく。


100128b.jpg


[試聴]
http://www.youtube.com/watch?v=8WfENDRGAs0
(こちらは何故か途中で途切れてしまうがとても好きな歌い方)

http://www.youtube.com/watch?v=JQAENejVCE0
(こちらは最後まで聴けるが、もう少しゆっくりと聴かせてほしい。)

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

ショパン ノクターン | アルトゥール・ルービンシュタイン

 ラプソディーのことを「狂詩曲」といってみたり、ソナタを「奏鳴曲」といってみたり、音楽用語の和訳には疑問を感じるものも少なくないが、この「夜想曲」についてはとても気に入っている。夜を想うのか、夜に想うのかはこの際どちらでも良い。ノクターンをこんな素敵な言葉に訳した人は素晴らしい。

 今夜は久しぶりにショパンを聴いている。こんなにショパンを繰り返し聴きこんだのは、学生時代以来かもしれない。実は昨夜飲みの席上で、同じ職場の方が、私が以前から聞きたいと言っていたショパンのノクターン集のことを覚えていてくださって、持ってきてくれたのである。演奏はかのアルトゥール・ルービンシュタイン。20世紀の前半から中頃にかけて、全世界の人気をライバルのウラディーミル・ホロヴィッツと二分した天才ピアニスト。その演奏は一つの極みである。


ショパン ノクターン


 実は昔から、ホロヴィッツの演奏こそ素晴らしいと感じてきた私は、これまでルービンシュタインのノクターンをろくに聞いたことがなかった。ただこの65年盤が素晴らしいことは色々な紙上で読んできたし、いつかはきちんと聴いてみたいと思っていた。それがF女史の親切のおかげで訪れることになろうとは想像だにしていなかったが、一度聴いてみると、もっと早く聴いていたら良かったと思った。それほどに素晴らしい。

 ルービンシュタインのピアノは、よくオーソドックスだとか自然体だとか言われるけれど、それは単なる無個性というわけではない。濃厚な感情を生々しく露出させるホロヴィッツとはまるで正反対の音楽ではあるが、彼の奏でる音楽は、聴けば聴くほどに味わいが出てくる。そうした仄かな味わいが舌の上にいつまでも残り続け、やがて気づくといつのまにか豊かな感動と典雅さに包まれているといった、そんな演奏である。まるで美味しい昆布を時間をかけてかじっているような・・・・・・いや、ちょっと例えが変かもしれないが(汗)。

 でもこうしてみると、先ほど「もっと早く聴いていたら良かった」と書いたけれど、実は今このタイミングで聴けたことが良かったのかもしれないと思い直した。というのは、私がショパンを徹底的に聴き込んでいたのは大学時代。今思えばあの頃はまだショパンの音楽の、ごく表層をなぞっていただけのようにも思える。つまりショパン作品のごく浅いところを覆っているロマンティックな雰囲気だけを求めていたように思うし、その表皮を剥いたところにある、彼の音楽の奥底・・・点と線によって構築され、水墨画のようなモノクロームの世界に存在する枯れた境地・・・といったものには到底たどり着けなかったように思う。そう考えると、ホロヴィッツの演奏というのは入門者から上級者まで良くも悪くも幅広く対応できるマルチなところがあるが、一方でルービンシュタインの弾くショパンというのは、その時点では良さを感じたつもりでも、実はまだまだだったとか、経験するごとにより深みに至っていくというような、いわばショパンの音楽そのものみたいなところがある。この調子でいくと、10年後は今では味わえない魅力に包まれているだろうし、30年後、40年後などに至っては、一体どんな幸福が待っているのだろう。

 素晴らしい音楽を紹介頂いたことに感謝しつつ、更けゆく夜に物思う。


[試聴]Amazonのページで試聴できる
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3-%E5%A4%9C%E6%83%B3%E6%9B%B2%E5%85%A8%E9%9B%86I-%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/B00005EGW7

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。