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マーラー 交響曲第3番 ニ短調 | ティルソン・トーマス指揮・サンフランシスコ響

 ブルックナーは自然を宇宙的な視野とスケールから描き、マーラーは地上の等身大の大きさから書き進めた。ただいきつくところである神と精神の高みというのはおんなじで、ただ登る方法が違っただけなのかなあと・・・この第3番を聴くとそんな思いがするときがあります。

 マーラーの交響曲は、第1番と2番が人間そのものを中心に描かれたものとすると、マーラーは第3番から視点を全体としての自然とその中の一つの部分としての人間といった風に転じているようです。植物、動物、人間という生成発展のプロセスを通して、天使、ついには大いなる存在と愛へと至るという壮大な物語。全6楽章・100分を超える演奏時間の大作ですが、当初予定されていたのはこれに第7楽章を加えたもの。もしそうなっていたら一体何分のどんな曲になっていたのでしょうか。

 100分。

 これは現代社会に生きる私たちにとって、なかなか捻出することが難しい時間です。それゆえこの曲を聴くにはそれなりの覚悟と準備、精神的余裕が必要だと長らく思い込んできたんですが、この誤解を解いてくださったのが、kurt2さんでした。ご自身のブログでお書きになった一連の解説。毎日一楽章ごと解説されるスタンスに、そうか、楽章聴きという手があったんだと目からウロコ。何度か通して聴いて全体さえわかれば、あとは楽章だけ聴いても脳内補完が可能なんだということに気づかされ、それ以来、ある楽章だけとか、第5、第6楽章の二楽章だけを通して味わうとか、この曲をより身近に楽しめるようになりました。また四季歩さんがお書きになった記事はこの曲を把握するうえで参考にさせていただいており、つくづくブログをはじめてよかったなと思う瞬間です。

 演奏は前回もご紹介したマイケル・ティルソン・トーマス指揮、サンフランシスコ交響楽団がまたしても素晴らしく、今の私にはイチオシです。(・・・またコロコロ変わるかもしれませんけども(汗)。)音楽が常に熱さと新鮮さと知性を同時に備えており、特にあの麗しい第6楽章の演奏は比類ないものだと思います。生誕から150年。そろそろマーラーの音楽を21世紀にしてもよいのでは・・・なんていいながらバーンスタインもワルターも、ブーレーズだって好きなんですけど(汗)。Bimm bamm!


mtt_m02.jpg

[試聴]
http://ml.naxos.jp/album/82193600032

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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

マーラー 交響曲第2番ハ短調「復活」 | ティルソン・トーマス指揮・サンフランシスコ響

Mit Flügeln, die ich mir errungen
Werde ich entschweben.
Sterben werd ich, um zu leben!
Auferstehn, ja auferstehn wirst du,
mein Herz, in einem Nu!
Was du geschlagen,
zu Gott wird es dich tragen!

私が勝ち取った翼で
私は飛び去っていこう!
私は生きるために死のう!
よみがえる、そうだ、おまえはよみがえるだろう、
わが心よ、ただちに!
おまえが鼓動してきたものが
神のもとへとおまえを運んでいくだろう!



 終楽章の最後の合唱が終わり、あの壮大なフィナーレが幕を閉じた瞬間。感動に浸る私の耳に響いたのは、

ぴろ~ん、ぽよよよよ~ん。

Σ( ̄ロ ̄;;


うちの子がおもちゃを引っ張った音でした。。。子供の日万歳...orz



 ここ数年のマーラーの交響曲の録音といえば、指揮者のマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)とサンフランシスコ交響楽団(SFS)による全集が素晴らしいです。中でも今日聞いた交響曲第2番「復活」はとても素晴らしいです。

 たとえば・・・、マーラーの場合、f(フォルテ)とかp(ピアノ)とかの強弱記号が縦に全然そろわないわけで、

mahsc001ex.jpg

上の部分にしたって、あるパートはpで必死に繊細な音を神経すり減らして鳴らしているところで、あるパートはfffでガンガン鳴らしてます。しかもそのfffでやっているパートのそばで、ffでやっているパートもあれば、fでやっているパートもある。もっと細かく見れば音がそれで途切れるパートはいいですけど、たとえば音をタイとかで次のパートまで持続させるパート。ただfで音を持続させるパートがあるかと思えば、fpして持続させるパートもある。ffpなんてパート(ヴィオラとか)まで出てくる。こんなことがたった一瞬の重なりの中で起きている。しかもマーラーの場合、しょっちゅう全曲通してこういうことがある(汗)。

 想像してみてください。昔っから音楽は大体がフォルテならみんなフォルテ、ピアノならみんなピアノ。だからみんなが大きな音出せば、自分もつられて大きくすればなんとかなってきたわけですけど、マーラーはそうはいかない。pの人が間違ってもfffでなんかぶっ放したら、翌日はハローワークでしょう。それはいくらなんでもないにしたって、これだけ複雑な縦の重なりの中で、fffとffの間で自分の役割と立ち位置を見つけるのってなかなか難しい。こういうことをプロは平気でやるわけです。すごいなと思うわけです。

 ただこの複雑な強弱表記が「難しい」と言えるのかについては、また違った問題なわけで、マーラーは天才的な作曲家であると同時に天才的な指揮者であったといいますから、結局、「フォルテならみんなフォルテ、ピアノならみんなピアノ」な音楽をやるときに指揮者がやること(「そこの部分、オーボエはもうちょっと出して、ティンパニは抑えて、弦はもっと歌って!ホルン、もっと小さく!」みたいなこと)を全部スコアに書いちゃったとも言えて、のだめの千秋さまの真っ黒なリハを思い出せば、あれかと。だから忠実に強弱記号を守ればそれなりのサウンドになる。そういう意味ではやりやすいと言えるんでしょう。ただ上述のような複雑なことをやるにはそれなりに高度に訓練されたアンサンブル能力が必要となる。アマオケではなかなかできないわけです。

 つまらない話を長々と書いてしまったんですが、このティルソン・トーマスさんによるマーラーは、このようにマーラーがpppと書いた音からfffまでの間が10~20段階くらいあるように思えるほど微妙な強弱がつけられているように思うのです。そのうえで、「このパート、スコアの表記ではpだけどもうちょっと微妙に小さくするのか」とか、「このパートはあんまり変えないのか」とか、ちょっと新鮮な部分もあったりして(版が違うのかもしれないけど)、面白い。(いえ、スコアなんかなくたって素晴らしい演奏だから十分に楽しめるんですけど。)

 で、こういうことをやっているとさぞ楽団員は緊張の連続で、コントロールに必死で・・・と昔のジョージ・セルな演奏かと思いきや、全部のパートが生き生きと演奏しているように聞こえるわけです。またどんな細かな音、小さな音もしっかりと音楽して演奏されている。サンフランシスコ響のクリアなサウンドだから、こうした細かな部分までわかるのかもしれませんが、これってやっぱりすごいなと。

 90分弱の演奏時間があっという間で、しかももう一度通して聴きたくなる演奏。これは決して冒頭のぴろ~ん、ぽよよよよ~んがあったからだけではないと思います。ティルソン・トーマスさん、ありがとうございます。私の中で「復活」はこれがベストになるかもしれません。


82193600062.gif

[試聴]
http://ml.naxos.jp/album/82193600062

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マーラー 「さすらう若人の歌」 | クヴァストホフ(Br)ベルティーニ指揮ケルン放送響

 桜も終わって、なんか青春の季節だなあとぼんやりと意味不明なことを思っていると、ふとマーラーの「さすらう若人の歌」を聞きたくなった。

 第1曲の出だし。クラリネットによる寂しげな鳥の歌、かっこうが4度で啼く。(マーラーはかっこうを3度ではなく4度で書く。)寂寥感に満ちてひっそりと始まる「さすらう若人の歌」は、若きマーラーが自身の失恋を経験し書きあげた青春の歌。4曲から成る、みずみずしくも寂しい恋の歌である。全曲の至るところに、同じくマーラーの青春大作である交響曲第1番「巨人」に流用されているモチーフが現れ、第1番が好きな人はこの曲と歌詞を味わって聴いたあとに第1交響曲を聞くと、また違った面白さがある。

 演奏はディースカウなどの名盤があるけれど、個人的にはバリトンの名手トーマス・クヴァストホフがベルティーニ指揮ケルン放送響と行ったライヴ録音(CAPRICCIO C71124 [SACD])が最近のベストだ。クヴァストホフの歌はとてもうまく、深みがある。ベルティーニの指揮によるオケは抜群のしなやかさ、そして表情とニュアンスに溢れている。深刻になりすぎず、また重たすぎもしない、けれど寂しい。なんといい曲、いい演奏なんだろう。


C71124.gif
(CAPRICCIO C71124)


[試聴]
http://ml.naxos.jp/album/C71124

 
 曲についての解説や歌詞はウィキペディアに詳しく載っているため、ここに書く必要はないと思われるが、以下、抜粋。



第1曲「恋人の婚礼の時」
男は、恋人を失った悲しみを他人に打ち明けている。男は世界の美しさについて語るが、それは悲しい夢から自分を目覚めさせてはくれないのだ。オーケストラの質感は、ダブルリードや弦楽器の多用によって、甘く切ない。

Wenn mein Schatz Hochzeit macht,
Fröhliche Hochzeit macht,
Hab' ich meinen traurigen Tag!
Geh' ich in mein Kämmerlein,
Dunkles Kämmerlein,
Weine, wein' um meinen Schatz,
Um meinen lieben Schatz!

Blümlein blau! Blümlein blau!
Verdorre nicht! Verdorre nicht!
Vöglein süß! Vöglein süß!
Du singst auf grüner Heide.
Ach, wie ist die Welt so schön!
Ziküth! Ziküth!

Singet nicht! Blühet nicht!
Lenz ist ja vorbei!
Alles Singen ist nun aus!
Des Abends, wenn ich schlafen geh',
Denk'ich an mein Leide!
An mein Leide!

愛しい人が婚礼をあげるとき、
幸せな婚礼をあげるとき、
私は喪に服す!
私は自分の小部屋、
暗い小部屋に行き、
泣きに泣く、愛しい人を想って、
恋しく愛しい人を想って!

青い小花よ! 青い小花よ!
しぼむな! しぼむな!
甘い小鳥よ! 甘い小鳥よ!
君は緑なす野原の上で、こうさえずる。
「ああ、この世って、なんて美しいの!
ツィキュート! ツィキュート!」

歌うな! 咲くな!
春はもう過ぎたんだ!
歌はすべて終わった。
夜、私が眠りに入るときも、
私は苦しみを思うだろう!
苦しみを!



第2曲「朝の野を歩けば」
実際にも歌われているのは、鳥のさえずりや牧場のしずくのような何気ないものの中で、美しい自然界を練り歩く喜びであり、「これが愛すべき自然ではないというのか?」という自問自答がルフランで繰り返される。しかしながら、男は最後になって、恋人が去ってしまった以上、自分の幸せが花開くこともないのだと気づいてしまう。

Ging heut morgen übers Feld,
Tau noch auf den Gräsern hing;
Sprach zu mir der lust'ge Fink:
"Ei du! Gelt?
Guten Morgen! Ei gelt?
Du! Wird's nicht eine schöne Welt?
Zink! Zink!
Schön und flink!
Wie mir doch die Welt gefällt!"

Auch die Glockenblum' am Feld
Hat mir lustig, guter Ding',
Mit den Glöckchen, klinge, kling,
Ihren Morgengruß geschellt:
"Wird's nicht eine schöne Welt?
Kling, kling! Schönes Ding!
Wie mir doch die Welt gefällt! Heia!"

Und da fing im Sonnenschein
Gleich die Welt zu funkeln an;
Alles Ton und Farbe gewann
Im Sonnenschein!
Blum' und Vogel, groß und Klein!
"Guten Tag,
ist's nicht eine schöne Welt?
Ei du, gelt? Schöne Welt!"

Nun fängt auch mein Glück wohl an?
Nein, nein, das ich mein',
Mir nimmer blühen kann!

今朝、野を行くと、
露がまだ草の上に残っていた。
こう、陽気な花鶏(アトリ)が話しかけてきた。
「やあ君か! そうだろう?
おはよう、いい朝だね! ほら、そうだろ? 
なあ君! なんて美しい世界じゃないか?
ツィンク! ツィンク!
美しいし、活気に溢れてるよなあ!
なんて、この世は楽しいんだろう!」

それに、野の上のツリガネソウは
陽気に、心地よく、
その可愛らしいツリガネで、キーン、コーンと、
朝の挨拶を鳴り響かせた。
「なんて美しい世界じゃない?
カーン、コーン! 美しいものねえ!
なんて、この世は楽しいんだろう! ああ!」

そして、陽の光をあびて
たちまち、この世は輝きはじめた。
あらゆるものが音と色を得た―
陽の光をあびて!
花も鳥も、大きいものも小さいものも!
「こんにちは、いい日和だね、
なんて美しい世界じゃないか?
ほら君、そうだろう? 美しい世界だろう!」

では、いまや私の幸せも始まったのだろうか?
いいや、いいや、私の望むものは
決して花開くことがない!




第3曲「僕の胸の中には燃える剣が」
主人公は、失った恋人が自分の心臓に鋼のナイフを突き立てたという思いに苦しんでいる。主人公は、身の回りのすべてのものが恋人を連想させるというほどに、明らかに執念にとり憑かれており、自分にナイフがあればよいとさえ願う。

Ich hab'ein glühend Messer
Ein Messer in meiner Brust,
O weh! Das schneid't so tief
in jede Freud' und jede Lust.
Ach, was ist das für ein böser Gast!
Nimmer hält er Ruh',
Nimmer hält er Rast,
Nicht bei Tag, noch bei Nacht, wenn ich schlief!
O weh! O weh!

Wenn ich den Himmel seh',
Seh'ich zwei blaue Augen stehn!
O weh! O weh! Wenn ich im gelben Felde geh',
Seh'ich von fern das blonde Haar im Winde wehn!
O weh! O weh!

Wenn ich aus dem Traum auffahr'
Und höre klingen ihr silbern' Lachen,
O weh! O weh!
Ich wollt', ich läg' auf der Schwarzen Bahr',
Könnt' nimmer, nimmer die Augen aufmachen!

燃え盛るナイフが、
一本のナイフが胸の中に!
おお、痛い! ナイフは余りにも深々と
喜びと楽しみ一つ一つに突き刺さっている。
ああ、なんと忌まわしい客なんだろうか!
決して休むことなく、
決して止むことなく、
昼となく、夜となく、眠っている間にも!
おお、痛い! おお、痛い!

空を見ると、
二つの青い眼が見える!
おお、痛い! おお、痛い! 黄色の野を行くと、
ブロンドの髪が風になびいているのが見える!
おお、痛い! おお、痛い!

夢からとび起きて、
彼女の白銀のような笑みが聞こえたとき、
―おお、痛い! おお、痛い!―
こう願った、私が黒い棺に横たわっていたならと、
目が二度と、二度と開かなかったならと!



第4曲「恋人の青い瞳」
恋人のまなざしの面影にどんなに自分が苦しめられたか、もう耐えられないほどだと歌われている。男は菩提樹の木陰に横たわり、何事も起こらなければよい、万事好転すればよい(「何もかも。恋も、悲しみも、世界も、夢も!」)と願いながら、花びらが体の上に覆いかぶさるのに任せる。

Die zwei blauen Augen
von meinem Schatz,
Die haben mich in die
weite Welt eschickt.
Da mußt ich Abschied nehmen vom allerliebsten Platz!
O Augen blau, warum habt ihr mich angeblickt?
Nun hab'ich ewig Leid und Grämen.

Ich bin ausgegangen in stiller Nacht
Wohl über die dunkle Heide.
Hat mir niemand ade gesagt, ade!
Mein Gesell' war Lieb' und Leide!

Auf der Straße steht ein Lindenbaum,
Da hab'ich zum ersten Mal im Schlaf geruht!
Unter dem Lindenbaum, der hat
Seine Blüten über mich geschneit,
Da wußt'ich nicht, wie das Leben tut,
War alles, ach, alles wieder gut!
Alles! Alles, Lieb und Leid
Und Welt und Traum!

二つの青い眼、
愛しい人のが、
私をこの
広い世界へと追いやった。
さあ、私は最愛の地に別れを告げなければ!
おお、青い眼よ、なぜ私を見つめたりしたんだ?
いま私にあるのは、永遠の苦しみと嘆きだ。

私は旅立った、静かな夜に、
暗い荒れ野をすっぽりと包む夜に。
惜別を私に告げる者などいないが―さらばだ!
私の仲間は愛と苦しみだった!

街道のそばに、一本の菩提樹がそびえている。
その蔭で、はじめて安らかに眠ることができた。
菩提樹の下、
花びらが私の上に雪のように降り注いだ。
人生がどうなるかなんて知りもしないが、
全て―ああ―全てが、また、素晴らしくなった。
全て! 全てが、恋も、苦しみも、
現(うつつ)も、夢も!

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マーラー 交響曲第6番イ短調

 ちょっと身辺にいろいろなことがあって、この日記も随分と日が開いてしまった。いろいろな問題はあるけれど、今はがむしゃらに闘い、進まなければならない。そうした日々が続いている。

 さて久しぶりにクラシック。今年はショパン、シューマンの生誕200年と並んで、グスタフ・マーラーが生誕150周年なのだそうだ。複雑に絡み合う大規模なオーケストラの迫真のサウンドが魅力ということもあって、今年は内外のオーケストラのプログラムにマーラーが挙げられているという。そんなこともあって、よしこれは一つ久しぶりにマーラーを聴いてみようと思った。

 マーラーの交響曲というのは全部で9番(「大地の歌」を入れれば10曲)まである。若きマーラーが青春を謳歌した第1番「巨人」、「少年の魔法の角笛」から引用した声楽を伴う第2番~第4番の「角笛三部作」、純粋な器楽に戻りつつも新しいことを始めた第5番~第7番、それ以降・・・といった感じにそれぞれ特徴がある。マーラーの音楽の場合、基本は歌曲的なのに何故か無理やり交響曲という伝統形式にこだわり無理やり押し込んだものが時に溢れたり爆発したりする音楽といった感じがするけれど、今日聴いたこの第6番は形式上もスケルツォを伴った4楽章構成であるし、現れてくる調性も近親調が多い。それなりに伝統的な交響曲の体裁が整っているから、そうした意味ではとらえやすい曲なのかもしれない。(1番や4番の聴きやすさには及ばないにしても。)この伝統的な構成については、第2楽章と第3楽章をスケルツォ→アンダンテの順ではなく、アンダンテ→スケルツォにして演奏するとより際立つ。事実、現在に至るまで両方の版が出ているわけである。

 今日聴いたのは、指揮者のレナード・バーンスタインがウィーン・フィルを振ったもの。のっけから徹底的に死に抗うバーンスタインの音楽はエネルギーに満ち溢れ、真に迫り、私の今の心に響いてくる。息をのむのは3楽章。これはもう天上の美しさだ。唯一残念なのは第4楽章のハンマーが3回打たれていることだが(マーラーの遺した最終稿では3回目のハンマー打撃が削除されている・後述)、それを考慮してもバーンスタインのマーラーは十分に素晴らしい。偉大なマエストロの仕事の前に、ハンマーの1回など関係ないのである。

 終楽章のハンマー。巨大な木槌で、それをダンッ!!と打ちおろす箇所が4楽章に出てくる。その回数が何度も改訂されていて、初期には5回あったものが、3回に減らされ、その後最後の3回目の打撃が削除され、2回になっている。だから解釈の分かれるところではあるが、今日では2回が標準とされている。ただそれが一番マーラーの意に沿うものなのか私にはわからない。例えば奥さんであるアルマ・マーラーの回想によれば、マーラーはこのハンマーによる打撃を英雄の運命であるとし、英雄に3回の打撃が加わり、3回目のダメージで英雄は倒されちゃう話なんだと言っているから、バーンスタインがそうしたように3回が本当なのかもしれない。でもでも私はやっぱり3回目はないほうがいい。3回目の救いの無い致命傷がない代わりに、そのあとの神聖な救いを感じることができるから。奇蹟の救済がどうしても起きてほしいから。

[試聴]
第1楽章
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6546258
第2楽章
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6555579
第3楽章
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6556157
第4楽章
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6566278

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