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愉悦の時 アンドラーシュ・シフのシューベルト

 アンドラーシュ・シフというピアニストを気に入っている。

 1953年、ハンガリーで生まれたこのピアニストは、よくモーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトの演奏に定評があると言われるが、「定評がある」などというレヴェルではなく素晴らしい。個人的には特にスカルラッティ、バッハ(特にゴルトベルク変奏曲)、シューベルトの演奏が大好きだ。

 そういうわけで今日はアンドラーシュ・シフの演奏するシューベルトを聴いている。曲はピアノ・ソナタ第1番イ長調、第9番ロ長調、第19番ハ短調。これは1997年に東京オペラシティ・コンサートホールの杮落としのために開かれたシューベルト連続演奏会の録音だ。

 シフはこの数年前に全集を録音しているが、この日のピアノもCDと同じくベーゼンドルファーを持ち込んだ。見事に調整を施されたベーゼンドルファーの、まろやかで豊かな音色が、シフの変幻自在のタッチにより輝いていく。昔からベーゼンは湿気に弱く、湿潤な日本の気候下での保管には適さないと思っていたが、このように見事な整調・整音の為されたフルコンを聴くと、そんなことはどうでも良くなってしまう。さすが低音域の響きは豊かで、シフはそれと絶妙のバランスを取りながら高音を奏でていく。いわゆる「鉄が鳴る」スタインウェイでは絶対に出せない、オーストリアの名器だ。

 ピアノの話になってしまったが、シフの演奏はいうまでもなく素晴らしい。元々学者的というか、研究熱心なシフの演奏は、超弩級の真面目な、かっちりとしたものだが、よくそういった演奏にありがちな無味乾燥としたものでは決してない。むしろその正反対で、引き出される音楽はどこまでも愉しく快い。パッセージごとに変わりゆく音色のなんと色彩感溢れることか。気の向くままに音の散策を続けていくような、まさにシューベルトらしい演奏がここにはある。

 特に19番のソナタ。有名な18番の幻想ソナタと20番の「楽興の時」にはさまれているハ短調の曲で、これは30分を越える曲だが、大抵の演奏では飽きてしまう。シューベルトの演奏というと、先に述べたような音の散策にはまり込みすぎるあまり迷走したり冗長になったりすることが多いように思う。(もしかしたら私の音楽経験の浅さによる見当ハズレかもしれないが。)だがシフには、底辺に研究しつくされたがっちりとした土台があるため、決して迷走などしない。嫋嫋とした余韻と、シューベルトの静けさを保ちつつ、この大きな音楽を見事に奏でている。知性と愉悦の見事な調和。これほどの幸せな時間は久しぶりだ。

[試聴]シフ氏の演奏は、なかなか無料が見つからなかった。曲は違うけれど。


[CD]シューベルト/ピアノソナタ全集(アンドラーシュ・シフ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FKM2/meditationes-22/ref=nosim
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テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調「新世界より」作品95

 カラヤンをほめるとバカにされることがたまにある。

 ・・・とても困る。

 クラシック音楽に本当の意味でハマったのは、カラヤンだった。その前の年に、初めて興味をもったのが、シベリウスの交響詩「フィンランディア」で、確か指揮はリッカルド・シャイーだったと思う。それから来る日も来る日もフィンランディアを聴いたのだが、別に曲が好きだからとか、そういうわけではない。何しろこれ一枚しかないのだ。聴くしかなかった。だが毎日毎日そればかり聞いていると、さすがに飽きてくる。別の曲も聴いてみたいと思うのが人情というもので、クラシックの入門に適した曲はないものかと、近くのクラシック好きの人に聞いてみた。答えは「とりあえず『新世界』でも聴いとけ。」だった。

 翌年正月明け早々に、駅前のお店へ出かけた。家には同じ曲のLPレコードがあったが、楽しみが半減してしまうような気がしてあえて聴かないことにしていた。こうして人生で初めて購入したのがドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。グラモフォンから出ていたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だった。

 のっけから音楽に吸い込まれてしまったのを覚えている。こんなに楽しい曲はない。最も有名なのは第4楽章と第2楽章だが、全ての楽章がそれぞれ個性的で、心ときめく旋律が次から次へと現れる。冒頭の弦楽器の繊細な音色、続く管楽器の色彩。そして何よりカラヤンとベルリン・フィルとによる圧倒的な美しさと正確さ。クラシック音楽と自分との、とても幸せな初対面だった。

 実は今日、エレクトーン用に編曲された第4楽章を聴く機会があり、久しぶりに思い出のCDを出してみた。こうして聴いていると、改めて感動的な音楽であるということが分かる。

 ケルテスやクーベリックのような味はなくても、やっぱりカラヤンは偉大なのだ。

[試聴]カラヤン指揮が見つからなかったので
http://ml.naxos.jp/?a=8.550271

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シンフォニア・タプカーラ 伊福部昭

 日本語にも地方によって訛(なまり)というものがある。ましてそれが国境を越えればなおさらだ。

 故・伊福部昭氏の代表作「タプカーラ交響曲」を聴いた。演奏が少し珍しい。ドミトリー・ヤブロンスキー指揮ロシアフィルハーモニー管弦楽団、つまり外国人の解釈による外国人の演奏で、これはナクソスから出ている。その感想は、

 なんというか、節回しが違うのだ。

 これまでタプカーラといえば日本の楽団の演奏に慣れ親しんできた。それは明らかに日本人による日本人としての解釈で、聴いていて安心感がある。西洋音楽は貪欲に何でも吸収しようと考える一方で、自国の文化には極めて保守的な自分がいることに気づいた。

 逆に考えるとどうなるのか。私たち日本人が西洋の音楽を演奏するとき、少なからず訛った演奏をすることになるのか。それは留学などの経験によって解消しきれるものなのか、どうなのか。自分の音楽的嗜好には、どこまでが日本の文化に影響されていて、どこまでがそうでないのか。

「自らの文化に思実であれ」と語った伊福部氏の言葉が重く響く。

シンフォニア・タプカーラ|伊福部昭

[試聴]
http://ml.naxos.jp/?a=8.557587

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聖母マリアの夕べも二日酔い

 「真の酒飲みとは二日酔いをも楽しむものだ」と昔、ある酒飲みが言った。

 ここのところ度重なる飲み会のせいで、二日酔いに苦しんでいる。こうも二日酔いばかり続くと、確かに楽しみ方も覚えてくるから不思議だ。モンテヴェルディを聴くのだ。これが効く。

クライディオ・モンテヴェルディ

 クラウディオ・モンテヴェルディは、1567年に生まれ、1643年に没したイタリアの作曲家。ルネサンス期からバロック期への転換期の時代を生きた天才だ。そのモンテヴェルディの宗教曲の中に、「聖母マリアの夕べの祈り」という曲がある。敬虔な祈りに満ちた素晴らしい曲で、昔、宇野功芳氏の書いた「新版・クラシックの名曲・名盤」(講談社現代新書)という本を読み、一気にハマってしまった。少し引用させていただく。

「こんなに深い味をもった、滋味尽きない音楽を、私はそれまでに全く知らなかった。ずいぶんいろいろな音楽を聞いてきたつもりだったが、これほど感動的な名曲があるのかと、私はその日からこの曲に夢中になった。それ以来、しばらくの間は、寝ても覚めてもこの曲のどこかの部分が耳に鳴り、この曲以外のどんな音楽も虚ろにしか響かない日々が来る日も来る日も続いた。まさに中毒症状である。」

この曲集の後半に「マニフィカト(Magnificat)」という曲が出てくる。奇蹟的ともいえるほど美しい曲なのだが、二日酔いで聴くのはまさにここだ。もちろん二日酔いが最高潮の朝は無理だ。まず何もできないし、何も聴きたくない。聴くのは、峠を越し、少しだけ快方に向かい始めたときだ。ここでマニフィカトを聴く。

これまでの暗黒の苦難が取り除かれ、魂は浄化され、神の祝福に包まれる。

何と劇的な二日酔いだろうか。

演奏はなんといっても宇野功芳さんの推すシュナイト指揮・レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊らが素晴らしい。(残念ながら現在は絶版になっているようだ。)

[試聴]↓残念ながら感動はシュナイト盤に遠く及ばないが
http://ml.naxos.jp/?a=BIS-CD-1071-72

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フィンジ クラリネットと弦楽のための協奏曲

 独奏のクラリネットが弦楽オーケストラを伴って流れていく曲。諦念の先にある安らぎが非常に厳しい対位法を伴って織られていく曲。心の奥底から揺さぶられる曲。

 ・・・・・・。

 ・・・いいすぎか(汗)。

 本当にやばいものに手を出してしまった。(しばらくこの世界から抜け出せなくなってしまう。)今から多分、10年ほど前に手に入れた録音だと思う。詳しい経緯は覚えていないが、ジェラルド・フィンジという英国の作曲家の書いたクラリネットのための協奏曲だ。今日、何気なく棚から取ってしまったのが、この録音だった。

 フィンジは、1901年にロンドンに生まれ、1956年に没したイギリスの作曲家。都会の喧騒を嫌い、英国の田舎と自然を愛し、「グリーンスリーヴスによる幻想曲」で有名なヴォーン=ウィリアムズと同じくらいの時代を生きた。

 その人生は、壮絶である。

 幼い頃に父親を亡くし、人一倍多感だった少年期に3人の兄弟を失っている。フィンジの音楽にとって最初の師であったアーネスト・ファラーもまた、第一次世界大戦に徴兵され、戦死した。本人も白血病を患い、55歳で亡くなった。このような背景もあって「薄幸の作曲家」とよく言われる。確かにフィンジの作品には、死の観念が常に付きまとっているが、一方で、それが単なる悲壮感とは違う、一種独特の厳しさと優しさをもって書かれていたりもする。非常に遅筆な作曲家で、その生涯に40曲あまりしか遺していない。

 曲は3楽章から成る。特に、第2楽章があまりにも、凄絶な美しさを持っている。うまくいえないんだけど、終息の安息というか、この楽章だけでも何度でも繰り返して聴いていたくなる。これほど死に近く、安らかな曲は少ないと思う。

 演奏はいくつかあるが、個人的には今日聴いた、リチャード・ストルツマンのクラリネット、ギルドホール弦楽アンサンブルが一番心に染みる。

[試聴]
第1楽章:Allegro vigoroso
http://www.youtube.com/watch?v=Wq92kik42i8
第2楽章(前半):Adagio, ma senza rigore
http://www.youtube.com/watch?v=tZ6c1UVLXkw
第2楽章(後半):Adagio, ma senza rigore
http://www.youtube.com/watch?v=kFeftAZEMv4
第3楽章:Rondo: Allegro giocoso
http://www.youtube.com/watch?v=68NjXTWOkw8

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素晴らしいボヘミア人 ミスリヴェチェク

 ミスリヴェチェクという作曲家をこれまで知らなかった。

 「モーツァルト語法のルーツ」というコピーに惹かれ、コンチェルト・ケルンの新譜を試聴してみた。「ミスリヴェチェク」という、チェコ出身の作曲家のシンフォニアと序曲が収められている。イタリアで活躍し、少年時代のモーツァルトが出会い、大きな影響を受けまくったのだという。本当だろうかと思いつつも、一聴してすぐに分かった。

 100%モーツァルトだΣ( ̄ロ ̄;

 モーツァルトのような軽やかで美しい旋律が、同じくモーツァルトのようなリズムと響きの上で歌われている。何の知識もなく聴いたならば、なんとなくモーツァルトかなあ・・・と聞いただろう。モーツァルトっぽさの発案者とでもいうのだろうか。一方で、これまでこれぞモーツァルトとして考えてきたものの多くが、実は先達がいたというわけで、何だか複雑な気持ちになったりもするんだけども。

 ちなみに彼の名をうまく発音できなかった人々は彼を「素晴らしいボヘミア人」(Il divino boemo)と呼び賞賛したそうだ。関係ないが、ふと先日のN響定期で奏されたアイスランドの作曲家「シグルビェルンソン」氏を思い出した。舌をかみそうだ。

↓[試聴]コンチェルト・ケルンの演奏がまたうますぎる
http://www.universal-music.co.jp/classics/release/m_topics/umcl200702/ucca1072.html

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ニューワールドのグアスタビーノ

 アルゼンチンには素敵なワインがたくさんあって、栽培の歴史は16世紀にさかのぼる。安くて美味しいから、貧乏人のくせに酒好きの自分のようなものには嬉しいし、何より一本一本が個性的で楽しい。「安い・うまい・楽しい」となれば、ついつい量を超えて飲んでしまうのが人間というもので、おかげさまで今日も昨日も二日酔いだったりする。今日こそお酒を抜こうかと思ってもいる。休肝日万歳。

 ワインの世界では、昔からワインを作っている地域をオールド・ワールド(旧世界)といい、最近(といってもかなり昔も含むけれど)勃興してきた地域をニュー・ワールド(新世界)というらしい。たとえば元祖ヨーロッパはオールドワールドだし、オーストラリアなんかはニューワールドといった具合になる。じゃあアルゼンチンは16世紀以来の歴史があるからオールドワールドかというとそうではないらしい。世界に流通するようになったのは20世紀後半になってからのことだからだ。

 質より量が求められてきたアルゼンチンワインは、1970年代後期に転機を迎えた。量より質へと消費者の志向が変化した結果、多くの優秀な作り手によって上質のワインが作られるようになり、輸出が激増。ニューワールド「アルゼンチンのワイン」が世界に認められることとなったという。

 このような素晴らしいワインと同じく、アルゼンチンには作曲家も優れた人がいる。タンゴのアストル・ピアソラなど代表的だが、クラシック音楽にも、カルロス・グアスタビーノという作曲家がいる。そのグアスタビーノのギター・ソナタを今日、初めて聴いた。先日NHK-FMでやったものを、PCに予約録音しておいたものだ。

 一聴してはまってしまった。

 一言でいうと、ひどく単純な和声の上に、これまた単純だがとても美しいギターの旋律が乗っている。シンプルなのに深く引き込まれる作品。シンプル・イズ・ベストだ。

 しかしこのグアスタビーノ、こんなに素晴らしい曲を書くのに、一般にはほとんど知られていない。まるで一昔前までのアルゼンチンワインのようだ。もっともっと認知されるといいのに。

 良い音楽を聴いていたら、美味いお酒が飲みたくなってきた。今夜は何を飲もうかなあ・・・。

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ひな祭りとクラシック 滝廉太郎のメヌエット

 ひな祭りに相応しい曲などないものかとごそごそと探しているうちに、そうだ、少し前にピティナのホームページから落としたMP3があったなと思い、引っ張り出してきた。滝廉太郎の「メヌエット」。日本で初めて書かれたピアノ曲だ。
 日本風の主題が提示され、荒削りだが味わい深い響きの曲。ペンタトニックとダイアトニックが交差する転調の移ろいがとても綺麗で、そして人間味がある。

 滝廉太郎は、1879年に東京で生まれた。元号では、明治12年。15歳で今の東京藝術大学(当時の東京音楽学校)に入学し、その後、1901年に、ヨーロッパを代表するライプツィヒ王立音楽院に留学する。留学の直後、結核を患い、わずか1年で帰国。その後、療養生活を送るが23歳の若さでなくなった。この曲は、留学の一年前、1900年に作曲されたものだ。

 滝廉太郎にはもう一曲、遺されたピアノ曲がある。死の4ヶ月前、人生最期の曲となった「憾(ウラミ)」だ。滝廉太郎さんが、あと数年でもヨーロッパの教育を受け、あと数年でも作曲活動をなさっていたら、どんな曲が生まれたのだろうと思わずにいられない。

 メヌエットはピティナのホームページで今も聴くことができる。
http://www.piano.or.jp/report/pmj/060727.html

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