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ヴェルディ 歌劇「アイーダ」 | ナバダ指揮サンフランシスコ・オペラ

 デアゴスティーニさんの隔週刊オペラコレクション・・・・・・いつもお世話になっている業者の担当さんの発注ミスで、前回は2巻と3巻が同時に来たけれど、今度は4巻を飛ばして5巻が来た(汗)。でもおかげで今日はアイーダを観ることができた。4巻の蝶々夫人も観たいけれど。(ここで白状しますと、オペラについて、器楽や他の声楽に比べ私は全く詳しくないのです。比較対象とすべきモノサシに自信がないため、どれが良いのか、本当のところでは自信がないのですが。)

 今回のデアゴスティーニさんのアイーダも、ラダメス役にパヴァロッティが起用されている以外は、まったく知らない。オペラといえば、ウィーン国立歌劇場か、ミラノ・スカラ座だろうくらいにしか思ってこなかった私にとって、パッケージに印刷されているサンフランシスコ・オペラ管弦楽団というのを見た時から、今回は危ないんじゃないかというイメージを持っていた。デアゴスティーニさん、最初は飛ばしてたけれど、ついに5巻にもなると、採算重視かなどと失礼な勝手きわまる思いを抱いていたのだが、すみません。理屈抜きにとても素晴らしい内容でした。

 まずアイーダ役のマーガレット・プライス。はじめて聞くけれど、非常に貫禄のあるソプラノさんで、見事な声量と音域の幅を持っている。ウチの奥さんがいうには、アイーダのイメージからすると貫禄がありすぎるとおっしゃっていたけれど、その大きな歌唱力に感服である。1981年のパヴァロッティは全盛期のもので、キング・オブ・ハイ・Cの名にふさわしく、どんなアリアでも安定感を損なうことなく熱唱。ラダメスを初めて演じた録画ということもあり、新鮮な思いが伝わってくる。アムネリス役のメゾ・ソプラノ、ステファニア・トツィスカも、最初は目立たない歌手かと思いきや、シーンとアクトを重ねるごとに存在感を増し、素晴らしい歌を披露。最終的には、彼女のイメージが一番強く残るほど。アモナズロ役のサイモン・エステスも素晴らしい。ランフィス役のクルト・リドルも手堅い歌唱を見せる。

以下、あらすじ(ネタバレしてます)--------------------------------------
<第1幕>第1場
古代エジプト。敵対するエジプトとエチオピアの物語。エジプトの神官長ランフィスが、迫り来るエチオピア軍に対抗する軍隊の総司令官を選ぶお告げがあったという。それをきいたラダメスは、選ばれた男は幸せだ、自分が選ばれたいと歌う。ラダメスは囚われのエチオピアの奴隷、美しきアイーダに恋をしている。そこへファラオの王女アムネリスが登場。アムネリスはラダメスに一方的な恋心を抱いているが、鋭すぎる女の勘で、ラダメスがアイーダを愛しているのだと疑う。ラダメスは、「じ、自分は、ただ総司令官に選ばれたいと思って興奮しているだけでアリマス!」と答える。そこへいくら出番とはいえ、まったく空気を読まないままアイーダが登場。アイーダをみて表情を変えるラダメスをみて、いよいよ女の勘が冴えわたるアムネリス。アイーダは「い、いえ、私の故郷エチオピアが心配で・・・」と言葉を濁す。その後、国王(ファラオ)の前に伝令が登場。エチオピア軍がついにテーベまで攻め入られたことを告げ、国王は総司令官にラダメスが選ばれたことを宣言する。故郷への愛国心と、ラダメスへの思いとの間で悩むアイーダ。しかもアイーダは、エチオピア国王の王女なのであった。

 その後、全能の神フターの神殿でラダメスらは戦勝を祈願したり(第2場)、ラダメスの出征中に残されたアムネリスがアイーダに、「ラダメスは戦死した」という嘘でかまかけられて、ラダメスへの思いをバラされて激怒されたりと、いろいろあって、ついにラダメスの凱旋(第4場)。華やかな凱旋の祭りの中で、ラダメスはファラオから、どんな願いもかなえるといわれる。ラダメスは、まずとらえたエチオピア軍の捕虜を王の前に出させてほしいといい、捕虜たちが連行されてくる。居合わせたアイーダは、その中に父であるエチオピア国王アモナズロの姿を見つけ、思わず駆け寄る。そこでエチオピア国王アモナズロが娘に一言。

「私の身分を明かさないように!( ̄へ ̄」

なるほど、バレてはマズイわけではある。ただ、以下の状況をどうすればよいのだろうか。

<一般的なエチオピア軍の捕虜>
091026_2241~0001


<『ある特別な』エチオピア軍の捕虜>
091026_2242~0001

・・・・・・( ̄へ ̄;)

091026_2243~0001

少しはバレない工夫をしようよ!Σ( ̄口 ̄|||)

こんな状況にもかかわらずアモナズロは「あくまで王の側で戦い、王は深手を負って私の足元に倒れた」と歌いあげる。これをいきなり信じ込みコロっとだまされるエジプトの皆さん。あまりにお人好しである。アイーダと結ばれたいラダメスは、どんな願いもきくという王の申し出をいいことに、エチオピアの全ての捕虜・奴隷の解放を要求。しかし神官長ランフィスの諌言を受け、ファラオはアイーダとその父アモナズロを人質として残し、それ以外を解放する。ランフィス、お邪魔虫である。国王はどさくさにまぎれて、自分の娘アムネリスを褒美としてラダメスに与え、将来はエジプトをおさめるがいいなどと言い出し、当事者の思いをまったく無視して強制された婚礼への道筋が決まっていく。

<第2幕>
婚礼前夜。イシス神の神殿に婚礼前の祈りをささげるために、アムネリスが入る。神殿前に現れるアイーダ。まもなく現れるであろうラダメスを待ち伏せしているのであった。そこへ父アモナズロが登場。祖国では再戦に向けての軍備が整った。お前にホの字の総司令官ラダメスから、エジプト軍のいないルートを聞き出せ、さもなくば故郷のエチオピアは悲惨な最期となるぞと脅される。悩みぬいた末にスパイ行為を了承するアイーダ。そこへ父アモナズロが隠れているのも知らずに、ラダメスがやってきて、アイーダに愛を告げる。一緒に逃げましょうよと歌うアイーダに対し、名誉と祖国を裏切れないと歌うラダメス。しかし次第に懐柔されていき、ついには逃亡を決意する。すかさずアイーダは、どうやって逃げればいいのよ、エジプトの戦士のいないルートはどこ?と聞くと、ラダメスは「ナパタ渓谷」と答えてしまう。そこに物陰に潜んでいたアモナズロが現れ、自らをエチオピア国王であると明かし、そのルートで攻め込もう!と歌う。歌っている暇があるなら、ここでとっちめればいいだろうに「何という機密をもらしてしまったんだあ!」と嘆きながら素直に歌を聴くラダメス。その後、騒ぎをききつけた王女やら衛兵やらが登場し、アモナズロとアイーダは夜の闇に乗じて逃げ去る。祖国を裏切った罪は重いとして、潔くつかまるラダメス。しかしここで我々に重大な疑問が沸き起こる。エチオピアへ向かうエジプト軍がいないルートを使ってエジプトに攻め込もうというこの戦術、一見素晴らしいように見えるが、これでは戦闘が発生しない。エチオピア軍がエジプトを滅ぼしている間に、エジプト軍もまたエチオピアを滅ぼしているわけで、アモナズロ・・・・・・この人はやっぱり何も考えていないんじゃないでしょうか(汗)。

<第3幕>
これまでアイーダとの恋仲を妨害し、自らの権力でラダメスを手中に収めようとしてきたアムネリスだが、さすがに後悔の念でいっぱいである。その心中を切々と歌い上げるが、祭司たちによる裁判が始まる。三度、弁明をと言われるが、ラダメスは潔く「答えぬ!」と返答。ついに死刑が決まる。それは怒れる神の祭壇の下に生き埋めにされうというものだった。ついに祭壇の下の地下室に入れられるラダメス。運命の石が地上への出入り口をふさぎ、ついに生き埋めとなる。暗い墓の中で、人影を見つけるラダメス。それは先に入り込んでいたアイーダだった。二人は最期の二重唱「さらば大地よ、涙の谷よ」を歌いあげ、幕。
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ヴェルディ 歌劇「椿姫」 | ショルティ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場

 ディアゴスティーニさんの隔週刊「オペラ・コレクション」。

・・・・・・発注の手違いで2巻と3巻が同時に来た(汗)。

 というわけで、今日は2巻目にあたるヴェルディ作曲の歌劇「椿姫」を観た。サー・ゲオルク・ショルティ指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場によるもので、ヴィオレッタにアンジェラ・ゲオルギュー、アルフレード役にテノールのフランク・ロパード、ジェルモン役にバリトンのレオ・ヌッチという布陣である。


opera0002.jpg


 とにかくこの椿姫、主役ヴィオレッタ役の容姿がとても大切。病弱の美しい高級娼婦という設定だから、間違っても貫禄のあるソプラノでは面白みも半減してしまう。でも貫禄ある体格でないと、今度は声がダメなのだろう・・・という話を職場でしていたところ、職場のK女史が「声を響かせるには上体の、特に胸のあたりの空間が大切なのであって、それは体格と必ずしも一致するものではない」と教えてくださった。事実、このアンジェラ・ゲオルギューはスリムな容姿で素晴らしい歌声を響かせており、なるほどと思った。さすがは声楽科卒である。

以下、あらすじ(ネタバレしてます)-----------------------------
<第1幕>
 ヴィオレッタは美しい高級娼婦。ヴィオレッタ邸では華やかな夜会が開かれ、そこで貴族の息子アルフレードと出会い、愛の告白を受ける。自分のような女は相応しくないといいつつも、椿の花をアルフレードに渡すヴィオレッタ。椿の花がしおれたらまた会いましょうと誘う。つまり明日また会いましょうということらしいが、なんとも分かりにくい誘い方である。椿の花が頑張りすぎて明日もピンピンだったらどうするつもりなのだろうか。その後、二人きりになったヴィオレッタとアルフレード。ヴィオレッタは自らの職業と、アルフレードへの恋心との間で揺れるが、結局はアルフレードへの愛を選ぶ。

<第2幕>第1場
第2幕が始まると、二人は既に同棲を初めている。一見裕福な生活であるが、それはヴィオレッタが家財を売り払ってしのぐギリギリの生活だった。ようやくそれに気付いたアルフレードは、この恥辱を晴らすべく、家財を取り戻そうと出かけていきます。いくらなんでも鈍すぎである。独り家に帰ったヴィオレッタのところにアルフレードの父ジェルモンが突然登場(゜ロ゜ノ)ノせっかく決まりかけた娘の婚約だが、息子がアンタと別れて家に帰らないと破綻してしまうといって、ヴィオレッタに別れることを迫る。ヴィオレッタは逡巡の末、これ以上迷惑かけられないというわけで別れを決意。アルフレードの帰りを待たず、家を出ていく。そこへ帰ったアルフレードに、ヴィオレッタからの別れの手紙が届く。すかさず家に帰るように説得を開始するジェルモン。しかしアルフレードはヴィオレッタに捨てられたと思いこみ、復讐するために家を飛び出していく。・・・・・・鈍すぎの上に思い込み大魔王とは・・・。

第2場
ヴィオレッタの友人であるフローラの家で開かれる夜会。そこにアルフレードがやってくる。一方、ヴィオレッタも同じパーティーに男爵を同伴してやってくる。アルフレードが男爵にギャンブルで勝負を持ちかけて圧勝。手に入れた大金をヴィオレッタになげつけて、屈辱を味わせる。・・・・・・子供ですかっ!そこに父ジェルモンが突然登場Σ( ̄□ ̄;叱り飛ばされたアルフレードはなんということをしてしまったんだ・・・と初めて事の重大性に気付くとともに、やっぱりボクはヴィオレッタを愛してるんだと歌う。鈍すぎで思い込み大魔王の上に、勝手マンである。

<第3幕>
もとから病弱なヴィオレッタは持病の肺結核が悪化して、重篤な状態でベッドに寝ている。医者もさじを投げたところに、待ち焦がれたアルフレードがやってきて、愛を誓い合うものの、病状が悪化する。そこへ・・・・・・父ジェルモンが突然登場((((;゚Д゚)))二人が付き合うことを認めるが時すでに遅し。皆に看取られてヴィオレッタは死にます。鈍すぎで思い込み大魔王で勝手マンの上に、タイミングまで悪いとは・・・・・・ヴィオレッタがかわいそすぎじゃないだろうか。

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J.S.バッハ カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」BWV.140

 昨日は結婚式が軽井沢であって出かけてきた。久しぶりの軽井沢は、すっかり秋の雰囲気で、深い森の中で行われる式は素晴らしいものだった。


J.S.Bach BWV.140


 披露宴の中で、新婦のお姉さまとピアノの先生が連弾でピアノをお弾きになり、それがこの「目覚めよと呼ぶ声あり」である。元々はカンタータであるが、バッハ自身によってオルガンに編曲されたり、今日ではピアノ編曲版などでも親しまれている。真夜中に「目覚めよ」という物見の声がして、花婿がやってくるから、ランプをとって、婚礼の支度をせよ!と命じられ・・・といった内容の、喜びに満ちた曲である。今日演奏されたのは、最も有名な第4曲のコラール。歌詞は次のようなもの。

Zion hört die Wächter singen,
Das Herz tut ihr vor Freuden springen,
Sie wachet und steht eilend auf.
Ihr Freund kommt vom Himmel prächtig,
Von Gnaden stark, von Wahrheit mächtig,
Ihr Licht wird hell, ihr Stern geht auf.
Nun komm, du werte Kron,
Herr Jesu, Gottes Sohn!
Hosianna!
Wir folgen all
Zum Freudensaal
Und halten mit das Abendmahl.

日本語にするなら、

------------------------------------------
シオンの人々は物見が歌うのを聴いて
心は弾み 急いで立ちあがります

いと高き天からその友は来て
溢れる慈悲によって 強い真実によって
その光は明るくなり 星はのぼります

来てください 最上の存在
主イエス 神の子よ
ホザンナ!(私たちに救いを!)

私たちは全てついていきます
喜びの間へと
そして晩餐をもちましょう
------------------------------------------

といった感じでしょうか。
(訳が間違っていたらすみません。。。教えてください・汗)


カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団



オルガンで



ちなみにお料理も・・・


エビのお造り



うまかった。


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トリプルハンバーグ | ガスト

 ガストでみつけたボリューム満点のハンバーグ。

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 トリプルハンバーグである。

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 うまかった。


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ウルトラサイダー (ウルトラセブン)

 職場の近くの自動販売機に少し前から登場していて、とっても気になる飲み物。それがこのウルトラサイダーである。

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 なんというか、ウルトラなデザインである。ということはきっと味もウルトラな味に違いない。というわけで、早速飲んでみる。

 ・・・・・・。

 ・・・ラムネだ!

 ・・・・・・しかも昔懐かしい感じのラムネソーダだ!

 ・・・・・・・・・・・・。

 ・・・でも、なんでウルトラ?(汗)

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J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846-869 | マウリツィオ・ポリーニ(Pf)

 この感動をどのように表せばよいのだろうか。今月頭に発売されたマウリッツィオ・ポリーニが弾くバッハの平均律クラヴィーア曲集。あのポリーニによる待望の初のバッハ録音である。発売日近くには入手していたのだが、なかなか聴く時間が取れず、今日にいたっていたが、いつものことながらああ、なんでもっと早く封を切らなかったのだろうと後悔している。それほどに素晴らしく、深遠な演奏が広がっている。

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 前評判も高く、また67歳にしてバッハを始めて録るというポリーニの心境というのはいかほどのものだったのだろうかと思っていた。まるで予想がつかない。徹底した完全主義者であるポリーニである。しかもチェンバロではない。ピアノ・・・このダイナミズムとタッチによる無限の表現の可能性を秘めた鍵盤楽器を用いて、一体どこまでを、そしてどのように、描くのか。それは研究に研究を重ねた末の、絞り出すような一滴一滴の粒の集合に違いないだろう。しかしそれがどのような音であるのかは直前まで皆目見当がつかず、そのような心境の中で最初のプレリュードの冒頭のC音が鳴った。なるほど、こういうことか。これを言葉で説明するのは難しいけれど、思わず心の中で「この音を待っていたんだ」とつぶやいた。このようにして伸びやかに、十分な節度と十分な豊かさをもって歌われるバスを追ううちに、風のように前奏曲は終わった。第2曲からは、ドラマが始まる。ここで驚いたのは、ポリーニのうなり声が聞こえる。ポリーニが歌っている。ピアノを弾きながら。

 唸っている。しかしそこで現れる音楽は、非常にポリーニらしいもので、奇抜なリズムの動きもなければ、自己陶酔に走ることもない。むしろ純粋すぎるほどに拍節法にかなった教科書的な演奏といえ、そうした盤石の土台の上で、決して一瞬たりとも飽きることのない、生命力と精神性の漲るドラマが繰り広げられている。まるで研究を深めるあまりバッハの精神と最も深いところで結合したかのようなポリーニの心が、研ぎ澄まされた指先のタッチを通じて語られているようだ。

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テリヤキバーガーとモスバーガー

 うちの奥さんが珍しくファストフードを食べたいとおっしゃるので、最寄りのモスバーガーのドライブスルーに出かけた。ここでふと疑問に思うのだが、モスバーガーというのはファストフードと言って良いのだろうか・・・ということ。というのも、マクドナルドなどと違って、どうもモスバーガーさんの場合、注文を受けてからじっくりと作っているような感じで、随分と待たされる。それに味も、他のファストフードの中では抜きんでて美味しいと思う。もはやファストフードで手軽に食べるという感じではなく、むしろファミレスなどの感じに近いのではないだろうか。(唯一の難点は食べにくさだろうか。食べ方が下手なのだろうけど、どうしてもソースがはみ出してしまう。)


 テリヤキバーガーとオニポテセット。

テリヤキバーガーとオニポテセット


 ・・・やっぱり一つでは足りなくて、追加のモスバーガー。

モスバーガー


 うまかった。

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J.S.バッハ カンタータ第82番「我満ち足れり」BWV 82

 休日も出勤となることが多く、今日もそんなこんなで出勤であった。せめて帰宅後の一時には静かな癒しの音楽でも・・・と思い、バッハのカンタータを聴いている。こんなことを言うと、バッハ通の方からは、バッハの音楽は常に生のドラマであって、それを聴いて癒されるなどおかしいとお叱りをうけるかもしれないが、でもやっぱりこれほどの包容力がある音楽というのもないと思う。今日聴いたのはバッハが1727年に書いた「我満ち足れり(Ich habe genug.)」。ライプツィヒ時代を代表する教会カンタータの一つであり、これは全曲バスの独唱で歌われる。

 1723年、ライプツィヒのトーマス・カントル(ライプツィヒ聖トーマス教会音楽監督)という名誉ある職に選ばれたバッハは、市当局や大学、聖職会議などの間で、彼の音楽以外の瑣末な事柄にいろいろと悩まされることになるが、それでもこの重要な教会の音楽を任されたバッハは、ライプツィヒ市にある主要な2つの教会、すなわち聖トーマス教会と聖ニコライ教会で、毎週代わる代わるカンタータを一曲ずつ演奏させることにした。そこで大量のカンタータが必要となり、事実、バッハの伝記作者であるフォルケルは、18年間に全部で295の作品が出来たと語っている。(*1)今日現存する200曲近いカンタータはまさに人類の宝といえる。その点では、バッハの世知辛いライプツィヒでの生活のおかげといえる。

 この曲には有名な名盤がある。名バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがカール・リヒターと遺した盤。幼子イエスに会ったことで、魂の充足とともに天へ召される老シメオンの想いを感動的に歌い上げる。

(手元の聖書より)
------------------------
その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定められてあることを行うため、両親もその子イエスを連れて入ってきたので、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。

「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救いをみたのですから。
この救いはあなたが万民の前にお備えになったもので、
異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります。」
------------------------


[試聴]第1曲「Ich habe genug」ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bariton)



*1:クロード・レーマン著「バッハ 不滅の大作曲家」

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チャイコフスキ ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23 | ラン・ラン(Pf)バレンボイム指揮・シカゴ交響楽団

 ウチの奥さんに「何を聴いてるの?」と聴かれ、「ランラン!」と答えたところ、しばし黙考の末に

「ホアン・ホアン?」panda001.jpg

と返ってきた。
いや、パンダじゃないよ。失礼だよ・・・(汗)。


ranran.jpg


 というわけで今日は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いている。・・・・・・ああ、やっぱり続かない・・・・・・ここで白状しなければなりません。自身の鑑賞能力の無さを証明してしまうみたいで、ものすごく恥ずかしいのですが、実は私、チャイコフスキーが大の苦手なんです。いや、良いなと思う曲はいくつかはあるんです。例えば、ヴァイオリン協奏曲は自分がヴァイオリンやっていたためか抵抗感なく楽しめるし、交響曲も第6番の悲愴は良いと思います。ピアノ三重奏曲も素晴らしいです。ところが後はダメなのです。これは私の鑑賞能力のなさなのです。ですからチャイコ・ファンの方々にけんかを売るつもりもなければ、作品をけなそうというつもりもありません。世界中の偉大なマエストロたちがチャイコの音楽を愛し、演奏しているわけですから、それはきっと素晴らしいものに違いないんです。でも私には分からない。それを今日も実感しました。いつものである調がですます調になっちゃうくらい、残念なことです。

 例えば5番のシンフォニー。私には非常に表面的でトンボの羽くらい薄っぺらいと感じてしまいます。また例えばあの有名な弦楽セレナーデ。第1ヴァイオリンだった私にとっては、上がって下がってだけの音階練習・・・何かの罰ゲームかと言いたくなります。3大バレエ・・・同じ3大バレエでもストラヴィンスキーのほうが断然いいです。

 そして今日聴いたピアノ協奏曲。何が良いのかさっぱり分かりません。冒頭のあの有名な出だしは良いメロディーだと思います。非常にキャッチーで、すごいと思います。でもそれだけです。後は技巧をこれみよがしに見せるだけのショーになっていて、それならばもっと楽しいポピュラー音楽はたくさんありますし・・・などと思ってしまいます。それでも過去、演奏が悪いのかもしれないと思っていろいろな演奏を聴いてみたりしたんですが、あのアルゲリッチをもってしても、私に感動を届けてくれませんでした。で、今日は、最近の演奏家ならばどうかと、ラン・ランの演奏を聴きましたが、まるでダメでした。こうなってくると、やっぱり自身の鑑賞能力の問題だと思われ、ちょっと凹んでいます。ううむ。

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ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調とピアノ協奏曲ニ長調作品61

 昨日の第4番に引き続き今日もベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いているのだが、一連の5曲以外にニ長調の作品があるとは知らなかった。と思ったら、有名なあのヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版のことであった。クレメンティのすすめにしたがってベートーヴェン自身が編曲したもので、オリジナルのヴァイオリン協奏曲とともに今日聴いている。

 一言で言って耳になじむのはオリジナルのヴァイオリン協奏曲だが、ピアノ編曲版である協奏曲も、何というか非常に自然である。もっともこの曲は元々ピアノ的な発想で独奏部が書かれてしまった(*1)とも言われているそうだから、自然なのは当然なのかもしれないが。またヴァイオリン版では演奏者に任せられていたカデンツをベートーヴェン自身が書いている(しかもティンパニを伴う!)というのも特徴だろうか。いずれにしても面白い曲である。

 ベートーヴェンはヴァイオリンとオーケストラのために、ニ長調の素晴らしい協奏曲を1806年に書いた。1802年の10月6日(つまり207年前の今日であるが)に、難聴への絶望からハイリゲンシュタットの遺書を書いて危機に陥っているが、1806年ということは、それを克服して充実した曲を書き続けた中期の作品ということになる。1804年のエロイカ交響曲、1806年のピアノ協奏曲第4番、そして1807年の、シューマンが「2人の北方神話の巨人の間にはさまれたギリシアの女神」と言わしめた(同意はできないが)あの交響曲第4番といった具合に、力強く、活気のある曲が生み出されている。ロマン・ロランがいうところの「傑作の森」の中の一つである。第1楽章の堂々たる威風、第2楽章の不滅の精神性、第3楽章の伸びやかな円舞曲。どこをどうとっても愉しみに溢れ、素晴らしい歌心が埋め尽くされている。

 ところでこのヴァイオリン協奏曲だが、随分と時間がない中で作られ、初演時にあたったヴァイオリニスト、フランツ・クレーメントは初見で演奏する羽目になったとか。初演の12月23日に対して、早くても11月下旬に取りかかったということが自筆譜に使用されているインクの研究から明らかになっている(*2)が、何とも忙しいスケジュールの中で、これほどの曲を一気呵成に書いてしまうところも、ベートーヴェンの尋常ならざる力。まさに「炎の作曲家」(*3)だ。

*1:Jonas, Oswald 1931
*2:児島新 「ベート-ヴェン研究」 p148-149
*3:kurt2氏 「エクアール3」よりベートーヴェンに関する記述

[試聴]リサ・バティアシュヴィリ(Vn)
第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=t_mAlyBKkPU
http://www.youtube.com/watch?v=r-CO3CMRRTQ
http://www.youtube.com/watch?v=AIH9y3OGCjc
第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=0RxCD2rC8NE
第3楽章
http://www.youtube.com/watch?v=e0aUNwiUkCg

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ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲といえば第5番「皇帝」であるが、5番を飽きるほど聴きこんだ頃に、1~4番に食指を伸ばして4番にハマったという方は多いのではないか。(・・・と勝手に思っている。)根拠などなく、ただ自分がそうだったからなのだが、この第4番には、永遠に聳え立つエンペラーにはない、ベートーヴェンの内面の世界というか、そんなものを感じずにいられない。結局今は5番よりもこっちの4番のほうが好きになってしまっている。

 穏やかに始まる第1楽章、伸びやかに歌われる第3楽章のロンド。どこまでも暖かな包容力とチャーミングなベートーヴェンの世界である。一方第2楽章は、二つの明るい楽章に挟まれた間で、一転して仄暗い。断固とした意志を感じさせる力強いオーケストラとは対照的に、独奏ピアノが奏でる音からは、ベートーヴェンの寂々とした心の森が広がる。たった6分程度で終わってしまうのが惜しいくらい良い曲である。そしてまったく関係がないのだが、結構な大音量で聴いているのに、うちのポコ、寝てる(汗)。


うちのポコ


 演奏はやっぱりフリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルだと思う。テンポも素晴らしく、グルダのピアノは、重々しくなりすぎず、感傷的になりすぎず、とても美しい。シュタイン指揮によるウィーン・フィルが最高にうまい。


[試聴]
※演奏は違うけれど、
クリスティアン・ツィメルマン(Pf)レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル

第1楽章:アレグロ・モデラート



第2楽章:アンダンテ・コン・モルト


第3楽章:ロンド、ヴィヴァーチェ


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ハンソン 交響曲第1番ホ短調「ノルディック」 | ジェラルド・シュワルツ指揮 シアトル交響楽団

 ひと雨ごとに涼しさを増し、秋も次第に深まる10月である。季節に合わせて、というわけでもないのだが、今日は少し涼しげな曲を聴きたいと思って棚をごそごそと探すうちに、久しぶりにアメリカの作曲家ハワード・ハンソンが1922年に書いた交響曲第1番「ノルディック(北欧風)」を思い出して取りだしてきた。ジェラルド・シュワルツがシアトル交響楽団を振ったもので、これまで出会った同曲の演奏の中では最良のものと考えている。(欲を言えばもう少し推進力が欲しいけれど。)


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 ハワード・ハンソンは、1896年に生まれ1981年に没したアメリカの作曲家である。生没年からすると20世紀の作曲家ということになるから、作風は非常に現代的なものかと連想しがちだが、ハンソンは生涯を通じて同時代の主流を為した調性感の乏しい音楽に疑問を持ち続け、自らは新ロマン主義の作風を堅持した。そのおかげで、20世紀の音楽にも関わらず非常に聴きやすく、分かりやすい。特にスウェーデンに起源をもつ両親の家系に生まれたハンソンは、多くの作品で北欧を題材に取り上げており、シベリウスが好きな方ならば、きっとハマる作曲家だろう。(うちの奥さんのように「北欧に実際住んで自然の厳しさを生活として体験したことのない人が、北欧の観光的な良い印象だけを持って書いた曲」と評する人もいるけれど、私は大好きである。よっぽど温暖な神奈川から雪深い信州に嫁いできた時の経験がトラウマのようだ。第2楽章を陰鬱な雰囲気の「Adagio malinconico assai - 雪かきの日々」にしたいのだそうだ。奥さん、すみません。。。)

 今日聴いた交響曲第1番もまた、「ノルディック」というタイトルが指し示す通り、そうした北欧を扱った作品である。峻厳な北欧の自然を想起させる旋律。第1楽章の冒頭を聴いた瞬間から、北欧の海と山と空と大地とが眼前に広がる。全3楽章から成っており、そのどれもが美しい旋律とレスピーギゆずりの華麗なオーケストレーションに満ちており、まるで映画のシーンでそのまま使えるような20世紀ノスタルジーなサウンドに溢れている。

[試聴]※演奏は違うけれど
<第1楽章>Andante solenne - Allegro con forza(前半)


<第2楽章>Andante teneramente, con semplicita


<第3楽章>Allegro con fuoco(後半)


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蕎麦処「うずら家」(うずらや) | 信州戸隠山御門前

 うまい蕎麦が食べたくて、濃霧の中をひた走り、長野市の戸隠高原にある蕎麦屋「うずら家」さんに行ってきた。

 前にも書いたのだが、信州そばというけれど、本当に美味しい本物を食べたければ、長野市の戸隠、それも選ばれたお店に行かないとなかなか味わえない。・・・と勝手に思っている。中でも、先日書いた「そばの実」、今日行った「うずら家」、そして今度書こうと思っている「山笑」さんはトップ3で、どれも蕎麦のレヴェルは最高級。強いてわけるなら、店の雰囲気を一緒に味わうなら「そばの実」さん、ストレスレスな素晴らしい接客と極上の天ぷらを一緒に味わうなら「うずら家」さん、そば単体で愉しむなら「山笑」さん・・・・・・と、勝手に思っている。本当に勝手に思っているだけだし、その他にもたくさんの美味しいお店があるので、これが絶対というわけではないのですが。

 さてそんなわけで、うずら家さんの蕎麦。まず玄関の戸に近づくと、自動ドアじゃないのに、自動で開く。駐車場から歩いてくる人を、全員で見ているらしく、もはや入店認知が早いとかそういうレヴェルではない。素晴らしい。厳しいイメージのある職人さんをはじめ、お店の全員が気持ちの良い笑顔と礼で迎えてくれる。本当に気持ちが良い。2階に案内されると、今度は2階のスタッフがすぐに席に案内してくれる。さらにお手洗いを探して1Fに戻ると、何も言っていないのに、「こちらです。」とすぐに案内してくれる。なんという接客レヴェルの高さだろうか。業種はまるで違うけれど、うちの店でも見習うべきところがたくさんある。

うずら家の外観


 まずはお通し。野沢菜の漬物とそば茶。

うずら家のお通し

 ざる蕎麦。笹の葉に乗ったコシのある麺。つゆも甘すぎず辛すぎず、ダシが効いていてとても美味しい。

うずら家のそば

 うずら家さんに来るならば食べないと後悔するのがこの天ぷら。ごま油で揚げているのだという。サクサクの食感とゴマの香りが見事である。

うずら家の天ぷら



 うまかった。


テーマ : 蕎麦屋 - ジャンル : グルメ

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