スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

J.S.バッハ 「マタイ受難曲」BWV244 | リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管(58)

 今年も「レコード芸術」誌が5月号と6月号で恒例の「名曲・名盤」特集をやっていたが、その5月号に、私の愛してやまないJ.S.バッハの「マタイ受難曲」に加え、ロ短調ミサ曲と、ヨハネ受難曲まで載っている。音楽評論家の投票によって順位が決まるというこの企画であるが、ここで目を引くのは、バッハの3大宗教曲ともいえるこれら3つの大作の全てにおいて、カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の盤が、極めて順当な評価を得て1位を独占していることである。これは普段ならば目を引くことでは決してない着地である。「鍵盤ならグールド、マタイならリヒター」という、バッハ演奏の評価としては極めて教科書的な結果。でも今年は、そうした驚きがなく面白味のない評価が逆に新鮮に感じられた。そろそろ古楽アプローチの盤、ガーディナーなりレオンハルトなりアーノンクールなりといった面々が1位を牛耳っても・・・くらいに思っていたからだ。

 そういえば少し前に「古楽全盛」と書いたことがあったけれど、確かに猫も杓子も古楽器を使ってという時期は既に過ぎ去っている。むろん今後も、古楽アプローチに影響を受けた潮流は続くだろうし、そのこと自体は個人的に大歓迎である。ただオーセンティシティというものを安直に考えすぎ、単純に作曲家との同時代性を模したただけとか、当時の演奏を再現しただけというような演奏は、今後ますます淘汰されていくのだろう。むろんこれは当然のことで、我々は「現代の」聴衆なのだから、そうしたことは音楽ではなく博物館に任せておけばよい。1950年代から60年代に録音されたカール・リヒターの演奏が今日も色あせることなくその普遍性が評価されていることを見ると、現代楽器によるアプローチにしても、ピリオド・アプローチにしても、要となるのはmusizieren......「音楽する」という普遍的なことであると改めて感じたしだいである。

 さて大バッハが書いたこの「マタイ受難曲」について。バッハ全作品の中でも最高峰と呼ばれるこの曲は、不朽の大作というにふさわしい貫禄と内容を持っている。一言でいえば、「大きく二部(通常68曲)からなる。第一部は29曲、イエスの捕縛までを扱う。第二部は39曲、イエスの捕縛、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、その墓の封印までを扱う。物語でありながら、一方で精緻な音楽的構造を持った作品でもある。」(ウィキペディアより引用)

 第1曲目がまずもって素晴らしい。冒頭、沈痛なホ短調の響きとともに、十字架を背負って歩くキリストの足取りのような重々しい通奏低音が奏でられる。そして私はいつも、冒頭のこのEの音が鳴り響く瞬間から、荘厳な音の伽藍と、凄絶な物語の中へと吸い込まれていく。

マタイ受難曲01

 曲は重厚な響きを保ちながら対位法的に進んでいき、やがて合唱が現れる。その合唱も左右に分かれ、そこに「神の子羊」を歌うボーイソプラノが加わって9部の(!)大合唱へと発展し、「als wie ein Lamm(子羊のように)」の言葉で終わるのである。

マタイ受難曲02

 なんと壮大で、なんと素晴らしい、人類の宝物なのだろう。この曲を前にして、余計な言葉はいらない。ただひたすらに彼方に連れ去られるのみである。

 数ある演奏の中で、やはり最高峰に輝くのはリヒターだろう。(もう一つメンゲルベルク盤があるが、それはまたの機会に書くことにする。)キリストの受難を、一切のオブラートに包むことなく、徹底的に厳しく追求している演奏は、50年以上経つ今も色あせることはない。


カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団
J.S.バッハ「マタイ受難曲」より第1曲





テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

コメント

お恥ずかしいお話ですが

声楽曲やミサ曲に興味を持つようになったのはやはりシューマンを聴いてからです。
ですからこのマタイ受難曲は未聴なんです。
長くて聴く時間がないのと、聴く以上はナガラ聴きではなく、一人きりで静かにじっくりゆっくりしっかり聴きたい気持ちが強くて・・・
でも最近そんなことを言っていたら、この名曲を一生聴かないで終わるのではないかと思うようになりました。
齢なんでしょうかね(笑)

私は昔、ミサ曲はほとんど毛嫌い状態でして・・・
6年間のカトリック生活はうんざりというか辟易というか・・・あの生活に感謝できるようになったのはやはりバッハ好きのシューマンさんのおかげでしょう。
ところで、なんでバッハのコメントでシューマンなのでしょうか。すみません(笑)

カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の盤なのですが、
やはりいいものはいい。素晴らしいものは素晴らしい。いつまでも色あせることはないということなのでしょね。
ミサ曲は人の精神だとか生の営みだとかそこにある尊厳だとか、そしてそれをすら超越するようななにかを感じますよね。
こうしたことを表現するのでもその時代によってそれぞれいろいろな手段があるのあろうけれど、この曲の奥底深くから感じるなにかというのものは、人間の本質的なものというかDNAみたいに決して変わることのない大昔から脈々と受け継がれてきたものというか、この演奏にはそういったものが真正面から向き合ったというか、そうしたものがとても強く表現されているということなのでしょうか。

あぁ、やはりこの曲は、一人きりで静かにじっくりしっかりゆっくり聴きたいです。
でも・・・私にはその時間がありません。
振り出し戻る(笑)

Re: お恥ずかしいお話ですが

 数ある受難曲の中でもバッハの現存するマタイ・ヨハネの両受難曲ほど、内容的にも精神的にも充実し、スケールの大きなものはなく、これを全曲通して聴くことは忙しい現代人にはなかなか困難なことだろうとも思います。私もよほどの時間がない限り抜粋版を聴きますし、本当に時間がない時には、第1曲だけを何回も繰り返して聴いています。それほどにこの第1曲「来たれ、娘たちよ、われと共に嘆け」には、全曲の内容が凝集されているように思え、この曲だけでも満足ができます。

 はるりんさんがキリスト教系の学校へ通ってらしたお話、前に伺ったとき(確かアレグリのミゼレレに関する記事の時だったと思うんですが)にも申し上げたんですが、逆にそうした経験のない私にとっては、信仰の場で歌われる音楽に参加なさったというご経験が、とてもうらやましく素晴らしいことなんだと思っております。

 それにしてもこのバッハという人は、私にとってはかけがえのない作曲家で、一生聴き続けたい音楽です。私など到底及ばない存在ですが、はるりんさんもおっしゃるようにかのシューマンやブラームスをはじめ数多の作曲家がバッハに習い、影響を受けてきたことも、その音楽の素晴らしさ、温かな包容力を考えると納得できます。はるりんさんがおっしゃる「人の精神と生の営み」という言葉こそ、バッハの音楽を表しているように思いました。

 よいものはよい。それを改めて実感した一時でした。

聴きました~~~

感動です!!!
トラックバックしました~~~。
よろしくです!!!

Re: 聴きました~~~

はじめてのトラックバックありがとうございます~!
はるりんさんのおかげで、やっとトラックバックの意味が分かりました。
早速、お邪魔します^^
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

J.S.バッハ 「マタイ受難曲」BWV244 リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管

今までバッハというよりミサ曲だとかキリスト教に関係するような曲は聴いてきませんでしたので、だって6年間もカトリックの学校で過ごした...
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。