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ブルックナー 交響曲第6番イ長調 | カイルベルト指揮ベルリン・フィル(1963)

 アントン・ブルックナーという作曲家について、よく語られることがある。「彼の音楽は大自然や宇宙の姿そのものであって、ゆえに聴き手を選ぶ。彼の音楽を『理解しようと』してはいけない。大自然に身を任せるが如く、ただその音楽に身を任せればよい。自然とブルックナーの音楽が私たちに近づいてきて、私たちを包み込み、その良さが分かるのだ。」といったところだろうか。確かにブルックナーの音楽は特殊で、こうした聴き方はまったく間違っていない。ただ彼の遺した11曲の交響曲を聴いていると、どうも心を無にして大自然に身を委ねることだけで十分な魅力を感じる曲と、そうでもない曲・・・むしろ幾重にも折り重なる楽曲の構造を一枚一枚丁寧に観察し、「積極的に理解して」初めて分かる味わいをもつ曲とがあるとも最近思うようになり、今日聴いている第6番もその一つじゃないかと感じるこの頃である。

 ブルックナーの音楽が特殊だという点については、いまさら書く必要はないかもしれない。彼の音楽は、最初に聴くと面食らう。西洋音楽がそれまで培ってきたやり方とはまるで違う語法で書かれ、期待すべき部分に期待すべきものがなく、まったく唐突に何かがやってくるからだ。ただ一たびその味わいと深さを覚えてしまうと、今度はこれほど麻薬的で来る日も来る日もこればかり聴いていたいと思う音楽はない。壮大な音の大伽藍の中で、小さな自分が大きな音楽と一体となる恍惚の瞬間がそこにはある。


アントン・ブルックナー


 1824年、ベートーヴェンの第9交響曲が初演された年にオーストリアで生まれたこの作曲家は非常に遅咲きの人だった。最初の習作交響曲を1863年、ほとんど40歳近くなってから書き上げ、以来72年の生涯を閉じるまで、交響曲を中心に音楽を書いた。熱心なワグネリアンとしてワーグナーの音楽に傾倒し心酔する一方で、対立する新古典派の象徴ともいえる交響曲を、しかも一曲一時間を超すような長さで書いたが、そのほとんどの初演が失敗。見かねた友人らがあくまで「善意」で彼の作品を手直ししてやり、生涯に渡る作曲活動と並行して、生涯にわたる改訂も行った。今日に残る作品を書き上げた作曲家の中で、自作に対してこれほど自信がないというのも珍しい。

 まあそんなわけで今日はブルックナーの交響曲第6番を聴いている。スコアを読めば明らかだが、一つの見方として、この曲はリズムの音楽である。リズムによるモティーフが各部で自由に運動しながら、時に息をのむほど美しい瞬間を描いたり、エネルギッシュな爆発となったりと、伸縮自在に変化して全体を引き締めている。この第6交響曲はなぜかブルックナーの交響曲の中でもあまり人気のない曲で確かに分かりやすさという点から判断すると入門に適さない曲であるかもしれないが、じっくり味わうと素晴らしい魅力が随所にちりばめられた名曲である。

カイルベルト


 さて今日聴いている演奏であるが、これは1963年に録音された、ヨーゼフ・カイルベルト指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のものである。剛直で職人気質の指揮者が、最盛期のベルリン・フィルと渾然一体の演奏を繰り広げている。第一楽章冒頭の低弦の語りに込められた情報量一つとっても群を抜いている。非常にオーソドックスに、しかし凡庸にならないこうしたカイルベルトのうまさは、特に対位法的な第2楽章で顕著な魅力を発揮しているが、もちろんすべての楽章に言えることだ。重層的に重なり合う濃密な一つ一つの線、リズムといったパーツが非常にはっきり、くっきりと浮かび上がる。作為を感じさせない実直なカイルベルトの棒によって、この曲が本来持っている真の美しさが際立つのである。数ある第6番の演奏の中でも、私が感じる中で最高の演奏。1963年の演奏であるが、録音も非常にうまくいっており、古めかしさを感じさせない。


[試聴]※HMVのサイトにて
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2754085


もうひとつ、チェリビダッケがミュンヘン・フィルとスゴイことをやっている。

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

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