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ピアノ・・・叩き過ぎではないでしょうか?

 先週末は、とある音楽ホールの杮落しのコンサートがあって、これは仕事上企画の段階から携わってきたものだった。主催側にあるピアニストを紹介し、音楽に見識の高い主催者側のおかげをもって、当日はとても盛り上がり、意図した通りの素晴らしい結果として終わった。大成功だったといえる。

 ただ一つだけ、気になったことがある。最近のピアニスト、ピアノを叩きすぎじゃないだろうか。

 確かに豪壮に叩きつける演奏が、特にライヴでは視覚的にも、聴感上も有利な効果として作用することは否めないだろうし、ピアニストの先生方にしてみれば、不勉強な門外漢が何を言っているのだということになるのかもしれない。だがピアノとは、ピアノであってフォルテではない。はっと息をのむような瞬間、しかもそれがピアニシモでもたらされるというようなことが、このところとても少ないように思える。

 もちろんクラシック音楽にも流行があって、いつの時代にもその時代に求められる音を、ピアニストやピアノメーカーは追求してきた。例えばメーカーで言えば、時代の潮流に敏感に反応し成功したのがスタインウェイや国内ではヤマハだろうし、逆に伝統を頑なに守ることで失敗したのがベヒシュタインやベーゼンドルファといえるかもしれない。でもこれはあくまでビジネスの話。音楽的にどうかというのは市場占有率とはまた別であって、豪奢に鉄骨フレームまで鳴らし尽くすことだけが音楽のすべてではない。ひそけき高貴な音も、甘美で繊細なピアニシモもまた音楽である。誤解の無いように付け足せば、前者の豪奢な鳴らしというのも、これはこれで素晴らしい音楽の世界へ誘ってくれるもので、決して否定するものではないし、むしろ賛美するものである。だがどのメーカーも、どのピアニストも、通り一辺倒になって同じような演奏、弾き方、サウンドというのもまた寂しい。これは音楽の聴取といった段階でも、その道の大家や玄人、通といった先生方の「スタンダードな批評」をそのまま信じてしまう今日の消費の在り方にも似ているようにも思えるし、コンクールという画一的な評価システムにしてもまた然り。(といいつつ、それに少なからず惑わされたり、携わったりしている自分も同じなのだが。)ただ一つだけ自信をもって思うことは、人それぞれに味の好みがあるのと同じく、音楽の好みにももっと広範な多様性があって良いということ。貴方と私は違って当然なのである。

 最後にこの日の若いピアニストは素晴らしい仕事をしてくれたし、その音楽も素晴らしいものであったことをもう一度強調しておきたい。

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

コメント

こんばんは

>だがどのメーカーも、どのピアニストも、通り一辺倒になって同じような演奏、弾き方、サウンドというのもまた寂しい。
→分かる気がします。オーケストラも国によって音色が違いますし、それが無くなったら聴いてて面白くないですよね^^

そばが食べたいですっ!
また戸隠へ行きたいものです。でも、あそこは遠いので...

No title

素人でかつ、若干耳の悪い私にはピアノのことは分からないけれど、
何につけてもその時々で流行、というものはあるのだけれど、
今の世の中の、『スタンダードなもの以外は正しくない』
みたいな風潮はあまりいただけないな、と思うこの頃です。

個人的にワンパターンしかないのはつまらないと感じるタチだからか、
多種多様でちょっぴり不安…な位がいちばん長く楽しめるんではないかな、と。

違ってるから、面白い。

…音楽の話からは離れちゃったかな;

Re: こんばんは

kurt2さん、こんにちは。
「オーケストラも国によって音色が違」うというkurt2さんの言葉、なるほどなと思いました。でもその一方で、そのオーケストラですらその差異は年々希釈されてきているようで、ピアノなんかだと著しく皆右へならえな感じで・・・どこかで読んだ本と同じく、消費社会における音楽のグローバリゼーションが進めば進むほど、地域固有の音色が淘汰されていくようです。 寂しいです。

Re: No title

藍さん、こんにちは。
「違ってるから、面白い。」
まさに、コレ!と心の中で叫んでました。

ワンパターンもいいなあと思えるものもあります。吉本新喜劇とか。でも、これがみんなワンパターンだったら完全に面白くなくなると思うんですよね。

>多種多様でちょっぴり不安…な位がいちばん長く楽しめる
ええ。そうですよね。たとえちょっぴり不安になるほど個性的だって、たとえ足が8本あったって、生きる道はありますよ。うん。

思い出したハナシ

全然関係ない話なのですが、もう30年近く昔のことなのですが、野沢那智さんがラジオで語っていた言葉を思い出しました。
のど自慢大会の出場者たち、昔に比べると誰もかもみな上手い、でもピカイチがいない。
みんな同じように上手だということなんですよ。
ピアノに限らずあらゆるところで画一化が進んでいて、全体のレベルの底上げは図れるけれど個性は伸ばせないということでしょうか。
悲観的な考え方かも知れませんが、全体のレベル上げと引き換えに個性が奪われていくような気がします。
BPOやVPOもあまりにもグローバルになりすぎて今一つ面白くなくなって来たと知人は嘆いています。
いろいろ考えさせられてしまいますよね。

Re: 思い出したハナシ

はるりんさん、コメントありがとうございます^^
のど自慢にみる均質化、とても興味深いと思いました。確かに。
「全体のレベルの底上げは図れるけれど個性は伸ばせない」となれば、もはやパハマンのようなピアニストは現れない、いえ現れることができないのかもしれません。

「われわれは日常生活の全面的な組織化、均質化としての消費の中心にいる。そこでは、幸福が緊張の解消だと抽象的に定義されて、すべてが安易にそして半ば無自覚的に消費される。」ちょっとこの場で適切かわからないんですが、なぜかふとボードリヤールを思い出しました。
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