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そういえば音楽史って・・・

 この間、あるピアノのコンクールを受けているお子さんとお話する機会がありました。そのコンクールは音楽史上の四期が学べるというのが特徴。課題曲もバロック、古典、ロマン、近現代の四期の中から、地区予選で2つ、地区本選で残りの2つを選ぶというふうに、全てを網羅する設計になっているんです。また特徴としては近現代の曲、特に我が国の邦人作曲家の作品を積極的に課題曲に取り入れるなど、とても優れた教育思想を持っていると思います。このコンクールを受けさせる地域のレスナーさんにしても、自然と音楽史についてレッスンで触れる機会が多くなり、とても良いことなんじゃないでしょうか。

 ところで私だけが特殊なピアノ教育を受けたわけじゃないと思うんですが、小さい頃からピアノを習ったのに、音楽史というものがピアノのレッスンに登場した記憶がありません。例えば「この時代の曲は、右手と左手が独立してそれぞれ主役で・・・」とかはあったと思います。でもなんで私たちの耳に馴れた音楽は右手(メロディ)と左手(ハーモニー)との主従関係がハッキリしているのに、大昔の音楽はそうじゃないのかといったことの説明はありません。これはもちろん当然のことで、30分~1時間の個人レッスンという形態で、そんなことをやり出したら、一曲仕上げるのに途方もない年月を要すると思うんです。個人的にはそれはそれで素敵なレッスンだなと思いますが、通わせている親御さんの心配ははかりしれないでしょうし。

他の教室に通っているXXちゃんはもう6曲も弾けるのに、ウチの子はまだ1曲も弾けないなんて・・・orz

 なあんて。

 でもやっぱり、素人の私ですが、音楽を聴いたり弾いたりすればするほど、音楽史の理解というものがとても大切なことのように思え、このような状況ってなんだか違和感を感じるのです。というのも「西洋クラシック音楽」というのは、本来西ヨーロッパという世界の端っこで作られた1地域の「伝統芸能」のはず。たまたまヨーロッパ人が世界中を征服しまくったおかげで、今日グローバルスタンダードな音楽になったという一面もあります。逆に日本が世界を征服しまくってたら、今日、英語ではなく日本語が国際標準語になっていたり、能や歌舞伎、雅楽といったものが全世界で標準化されていたかもしれないわけで、そう考えた時に、例えば能や歌舞伎について、「世界のハズレの」ヨーロッパの人々が、その歴史や精神、日本という固有の文化についてを知らずに、単なる発声法や動作だけをレッスンしていたら、それってどうなんでしょうか。(まあここまで言っておいてナンなのですが、例えばアボカドのお寿司が意外とイケたりするように、日本節の効いたクラシックというものも味わいがあるのかもしれませんけども。)

 最後に冒頭のお子さんとのお話。とても良く勉強されていて、また自分でも考えていてすごいなあと思うのですが、一つだけ気になる発言が。


「クラシックって、バロック時代に生まれたんだよね。」


 うん。私も昔そう思ってた!(´~`ヾ)

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

コメント

こんにちは

違うんですか?
バロックからクラシックが始まったとばかりに思ってました。
さらに言えば、バッハがクラシックの土台を築いたと思ってました。
その辺のところ興味あります。
それから、いつから右手と左手が主従関係に変わったのでしょうか?
私はピアノを弾くわけではないですが、興味あります^^

Re: こんにちは

kurt2さん、こんにちは。
私も専門家ではないので、エラそうなことは言えないんですが、ある意味ではバロックから始まったともいえるというか・・・。長短2つの旋法による狭い意味での調性音楽をクラシック音楽とするなら、バロックから始まったといえると思います。でも、このお子さんにしても、昔の私もそうだったんですが、西洋の伝統的音楽がバロック時代に突然出現したと思っていたんです。この意味では、違うと思うんです。

・・・ちょっとまとめてみたくなりました。

面白いかも~

二日酔いが解消されたのでコメントします。
文学でも同じことってありますよ。
いきなり竹取物語や土佐日記がでてきたわけではありませんし。。。
国家という極めて高い生産性を持った集団により文化が進化成熟して行くというのは、バラバラだったその地方地方の伝説や歌や旋律などが、はっきりとした形式とか忌避を持つというか、こういうものはもともとあったはずなんですけれど、たとえば文字によってきちんとまとめられるとか、書法が明確化されるとか、ようするに組織化されるということなんでしょうか。それが成熟しての土佐日記でありバロックなのだと思います。
あ~なんか書いてることがわからなくなりました。

それと記事の後半の部分のことなんですけど、このあたりのことを突き詰めて考えていくと、要するに文化とか精神とかそういうこと、じゃあ、東洋人である私がいくらシューマンが好きだ~と叫んでも意味がないってことになってしまって、がっつり落ち込んでそれ以来深く考えないようにしたことがあります。
でもこのあたりのことはゲーテの世界文学の価値観を知った時に解決されたのですが、それは素晴らしい考え方なのでいずれ機会があれば記事にしますだ。


Re: 面白いかも~

はるりんさん、こんにちは!
忘年会お疲れ様でした。東京は遠いです(TOT)でも今日は私も酔っぱらいです(汗)。

頂いたコメントを読んで国家による文化への影響という点で、ああ文学もそうなんだと思いました。またコメントの主旨とは異なりますが音楽の歴史は、政治利用の歴史でもあると思います。生産性や情報共有のエリアが拡大し、伝達のスピードが効率化されることでうまれたあくまで自然発生的な組織化と、公権力による強制力を伴う制度化。音楽でも、いえ音楽だからこそなのかもしれませんが、国家による音楽の政治利用というのは古くからおこなわれてきたようで、戦意高揚や信号伝達としての軍楽、愛国心の向上や民心の統一、または聖俗ともに権力・権威を強化するための式典・祭典での利用などなどなど。

今後、芸術分野のボーダレス化がますます進むのか、それとも逆に19世紀ロマンティシズムが潜在的に持っていたような国粋化が進むのかは分からないのですが、やっぱりアボカドのお寿司は美味しいし、アリなんだと思う私です。酔っぱらってるせいか、何言ってるか分からなくてすみません。はるりんさんの記事楽しみです。早く読みたいです^^
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