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軽すぎるベルリン・フィル

 一聴して、アメリカのオケだろうと思った。

 無論、今に始まったことではない。フルトヴェングラーの後のカラヤンだって、それは大きな変化があったのだと思う。でも特にクライディオ・アバドのあたりから確かな変化があったし、サイモン・ラトルが首席指揮者となってからは急速かつ劇的に変わったように思う。このところベルリン・フィルの音を聴いて来なかったせいか、一昨日NHK-FMでやっていたベルナルド・ハイティンク指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聞いて、正直複雑な思いだった。

 今日、オーケストラの国際化は当然のことであるし、これだけ西洋クラシック音楽がグローバルスタンダードとなった現代に、今更お国柄だのオーケストラ固有の音色などを言うことはおかしいのかもしれない。しかしそれにしたって、かつてフルトヴェングラーやカラヤンが指揮するあの重厚なサウンドに憧れ、LPレコードや初期のCDを擦り切れるほど聴いた者からすると、途方もない寂しさを感じるのも事実だ。今日聴いたベルリン・フィルは、決して「ドイツの」オーケストラとはもう呼べない。かつてのドイツ的なサウンドは姿を消し、スリム化し反応速度を向上させたスポーティーな国際オーケストラの音がした。


ベルリン・フィル


 無論、こうした世界標準化ともいうべきオーケストラの国際化は、アンサンブル水準の向上や、より幅広いレパートリー、新時代の音楽嗜好への対応など、良い面も多々あろうし、こうしたサウンドが嫌いな訳ではなく、これはこれで十分な魅力を感じる。だがその一方で「残したい音」というのがあるのも確かな事実だ。特にベルリン、ウィーン、ロイヤル・コンセルトヘボウなどの各フィルハーモニーの伝統的な音色は無形の世界遺産だ。そのベルリン・フィルが、なにもここまで新時代的な音になる必要はないのではないか。それともベルリン・フィルだからこそ、こうした最新の音を追い求めるのだろうか。例えばベルリン・フィルを2つにして、一つは最新のサウンドで演奏し、もう一つは伝統のサウンドを堅持してとか。

 ・・・やっぱり無理かアップロードファイル

テーマ : クラシック - ジャンル : 音楽

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