J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846-869 | マウリツィオ・ポリーニ(Pf)
この感動をどのように表せばよいのだろうか。今月頭に発売されたマウリッツィオ・ポリーニが弾くバッハの平均律クラヴィーア曲集。あのポリーニによる待望の初のバッハ録音である。発売日近くには入手していたのだが、なかなか聴く時間が取れず、今日にいたっていたが、いつものことながらああ、なんでもっと早く封を切らなかったのだろうと後悔している。それほどに素晴らしく、深遠な演奏が広がっている。

前評判も高く、また67歳にしてバッハを始めて録るというポリーニの心境というのはいかほどのものだったのだろうかと思っていた。まるで予想がつかない。徹底した完全主義者であるポリーニである。しかもチェンバロではない。ピアノ・・・このダイナミズムとタッチによる無限の表現の可能性を秘めた鍵盤楽器を用いて、一体どこまでを、そしてどのように、描くのか。それは研究に研究を重ねた末の、絞り出すような一滴一滴の粒の集合に違いないだろう。しかしそれがどのような音であるのかは直前まで皆目見当がつかず、そのような心境の中で最初のプレリュードの冒頭のC音が鳴った。なるほど、こういうことか。これを言葉で説明するのは難しいけれど、思わず心の中で「この音を待っていたんだ」とつぶやいた。このようにして伸びやかに、十分な節度と十分な豊かさをもって歌われるバスを追ううちに、風のように前奏曲は終わった。第2曲からは、ドラマが始まる。ここで驚いたのは、ポリーニのうなり声が聞こえる。ポリーニが歌っている。ピアノを弾きながら。
唸っている。しかしそこで現れる音楽は、非常にポリーニらしいもので、奇抜なリズムの動きもなければ、自己陶酔に走ることもない。むしろ純粋すぎるほどに拍節法にかなった教科書的な演奏といえ、そうした盤石の土台の上で、決して一瞬たりとも飽きることのない、生命力と精神性の漲るドラマが繰り広げられている。まるで研究を深めるあまりバッハの精神と最も深いところで結合したかのようなポリーニの心が、研ぎ澄まされた指先のタッチを通じて語られているようだ。

前評判も高く、また67歳にしてバッハを始めて録るというポリーニの心境というのはいかほどのものだったのだろうかと思っていた。まるで予想がつかない。徹底した完全主義者であるポリーニである。しかもチェンバロではない。ピアノ・・・このダイナミズムとタッチによる無限の表現の可能性を秘めた鍵盤楽器を用いて、一体どこまでを、そしてどのように、描くのか。それは研究に研究を重ねた末の、絞り出すような一滴一滴の粒の集合に違いないだろう。しかしそれがどのような音であるのかは直前まで皆目見当がつかず、そのような心境の中で最初のプレリュードの冒頭のC音が鳴った。なるほど、こういうことか。これを言葉で説明するのは難しいけれど、思わず心の中で「この音を待っていたんだ」とつぶやいた。このようにして伸びやかに、十分な節度と十分な豊かさをもって歌われるバスを追ううちに、風のように前奏曲は終わった。第2曲からは、ドラマが始まる。ここで驚いたのは、ポリーニのうなり声が聞こえる。ポリーニが歌っている。ピアノを弾きながら。
唸っている。しかしそこで現れる音楽は、非常にポリーニらしいもので、奇抜なリズムの動きもなければ、自己陶酔に走ることもない。むしろ純粋すぎるほどに拍節法にかなった教科書的な演奏といえ、そうした盤石の土台の上で、決して一瞬たりとも飽きることのない、生命力と精神性の漲るドラマが繰り広げられている。まるで研究を深めるあまりバッハの精神と最も深いところで結合したかのようなポリーニの心が、研ぎ澄まされた指先のタッチを通じて語られているようだ。
テリヤキバーガーとモスバーガー
うちの奥さんが珍しくファストフードを食べたいとおっしゃるので、最寄りのモスバーガーのドライブスルーに出かけた。ここでふと疑問に思うのだが、モスバーガーというのはファストフードと言って良いのだろうか・・・ということ。というのも、マクドナルドなどと違って、どうもモスバーガーさんの場合、注文を受けてからじっくりと作っているような感じで、随分と待たされる。それに味も、他のファストフードの中では抜きんでて美味しいと思う。もはやファストフードで手軽に食べるという感じではなく、むしろファミレスなどの感じに近いのではないだろうか。(唯一の難点は食べにくさだろうか。食べ方が下手なのだろうけど、どうしてもソースがはみ出してしまう。)
テリヤキバーガーとオニポテセット。

・・・やっぱり一つでは足りなくて、追加のモスバーガー。

うまかった。
テリヤキバーガーとオニポテセット。

・・・やっぱり一つでは足りなくて、追加のモスバーガー。

うまかった。
J.S.バッハ カンタータ第82番「我満ち足れり」BWV 82
休日も出勤となることが多く、今日もそんなこんなで出勤であった。せめて帰宅後の一時には静かな癒しの音楽でも・・・と思い、バッハのカンタータを聴いている。こんなことを言うと、バッハ通の方からは、バッハの音楽は常に生のドラマであって、それを聴いて癒されるなどおかしいとお叱りをうけるかもしれないが、でもやっぱりこれほどの包容力がある音楽というのもないと思う。今日聴いたのはバッハが1727年に書いた「我満ち足れり(Ich habe genug.)」。ライプツィヒ時代を代表する教会カンタータの一つであり、これは全曲バスの独唱で歌われる。
1723年、ライプツィヒのトーマス・カントル(ライプツィヒ聖トーマス教会音楽監督)という名誉ある職に選ばれたバッハは、市当局や大学、聖職会議などの間で、彼の音楽以外の瑣末な事柄にいろいろと悩まされることになるが、それでもこの重要な教会の音楽を任されたバッハは、ライプツィヒ市にある主要な2つの教会、すなわち聖トーマス教会と聖ニコライ教会で、毎週代わる代わるカンタータを一曲ずつ演奏させることにした。そこで大量のカンタータが必要となり、事実、バッハの伝記作者であるフォルケルは、18年間に全部で295の作品が出来たと語っている。(*1)今日現存する200曲近いカンタータはまさに人類の宝といえる。その点では、バッハの世知辛いライプツィヒでの生活のおかげといえる。
この曲には有名な名盤がある。名バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがカール・リヒターと遺した盤。幼子イエスに会ったことで、魂の充足とともに天へ召される老シメオンの想いを感動的に歌い上げる。
(手元の聖書より)
------------------------
その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定められてあることを行うため、両親もその子イエスを連れて入ってきたので、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救いをみたのですから。
この救いはあなたが万民の前にお備えになったもので、
異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります。」
------------------------
[試聴]第1曲「Ich habe genug」ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bariton)
*1:クロード・レーマン著「バッハ 不滅の大作曲家」
1723年、ライプツィヒのトーマス・カントル(ライプツィヒ聖トーマス教会音楽監督)という名誉ある職に選ばれたバッハは、市当局や大学、聖職会議などの間で、彼の音楽以外の瑣末な事柄にいろいろと悩まされることになるが、それでもこの重要な教会の音楽を任されたバッハは、ライプツィヒ市にある主要な2つの教会、すなわち聖トーマス教会と聖ニコライ教会で、毎週代わる代わるカンタータを一曲ずつ演奏させることにした。そこで大量のカンタータが必要となり、事実、バッハの伝記作者であるフォルケルは、18年間に全部で295の作品が出来たと語っている。(*1)今日現存する200曲近いカンタータはまさに人類の宝といえる。その点では、バッハの世知辛いライプツィヒでの生活のおかげといえる。
この曲には有名な名盤がある。名バリトンのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがカール・リヒターと遺した盤。幼子イエスに会ったことで、魂の充足とともに天へ召される老シメオンの想いを感動的に歌い上げる。
(手元の聖書より)
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その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救い主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定められてあることを行うため、両親もその子イエスを連れて入ってきたので、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救いをみたのですから。
この救いはあなたが万民の前にお備えになったもので、
異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります。」
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[試聴]第1曲「Ich habe genug」ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Bariton)
*1:クロード・レーマン著「バッハ 不滅の大作曲家」
チャイコフスキ ピアノ協奏曲第1番変ロ短調Op.23 | ラン・ラン(Pf)バレンボイム指揮・シカゴ交響楽団
ウチの奥さんに「何を聴いてるの?」と聴かれ、「ランラン!」と答えたところ、しばし黙考の末に
「ホアン・ホアン?」
と返ってきた。
いや、パンダじゃないよ。失礼だよ・・・(汗)。

というわけで今日は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いている。・・・・・・ああ、やっぱり続かない・・・・・・ここで白状しなければなりません。自身の鑑賞能力の無さを証明してしまうみたいで、ものすごく恥ずかしいのですが、実は私、チャイコフスキーが大の苦手なんです。いや、良いなと思う曲はいくつかはあるんです。例えば、ヴァイオリン協奏曲は自分がヴァイオリンやっていたためか抵抗感なく楽しめるし、交響曲も第6番の悲愴は良いと思います。ピアノ三重奏曲も素晴らしいです。ところが後はダメなのです。これは私の鑑賞能力のなさなのです。ですからチャイコ・ファンの方々にけんかを売るつもりもなければ、作品をけなそうというつもりもありません。世界中の偉大なマエストロたちがチャイコの音楽を愛し、演奏しているわけですから、それはきっと素晴らしいものに違いないんです。でも私には分からない。それを今日も実感しました。いつものである調がですます調になっちゃうくらい、残念なことです。
例えば5番のシンフォニー。私には非常に表面的でトンボの羽くらい薄っぺらいと感じてしまいます。また例えばあの有名な弦楽セレナーデ。第1ヴァイオリンだった私にとっては、上がって下がってだけの音階練習・・・何かの罰ゲームかと言いたくなります。3大バレエ・・・同じ3大バレエでもストラヴィンスキーのほうが断然いいです。
そして今日聴いたピアノ協奏曲。何が良いのかさっぱり分かりません。冒頭のあの有名な出だしは良いメロディーだと思います。非常にキャッチーで、すごいと思います。でもそれだけです。後は技巧をこれみよがしに見せるだけのショーになっていて、それならばもっと楽しいポピュラー音楽はたくさんありますし・・・などと思ってしまいます。それでも過去、演奏が悪いのかもしれないと思っていろいろな演奏を聴いてみたりしたんですが、あのアルゲリッチをもってしても、私に感動を届けてくれませんでした。で、今日は、最近の演奏家ならばどうかと、ラン・ランの演奏を聴きましたが、まるでダメでした。こうなってくると、やっぱり自身の鑑賞能力の問題だと思われ、ちょっと凹んでいます。ううむ。
「ホアン・ホアン?」
と返ってきた。
いや、パンダじゃないよ。失礼だよ・・・(汗)。

というわけで今日は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いている。・・・・・・ああ、やっぱり続かない・・・・・・ここで白状しなければなりません。自身の鑑賞能力の無さを証明してしまうみたいで、ものすごく恥ずかしいのですが、実は私、チャイコフスキーが大の苦手なんです。いや、良いなと思う曲はいくつかはあるんです。例えば、ヴァイオリン協奏曲は自分がヴァイオリンやっていたためか抵抗感なく楽しめるし、交響曲も第6番の悲愴は良いと思います。ピアノ三重奏曲も素晴らしいです。ところが後はダメなのです。これは私の鑑賞能力のなさなのです。ですからチャイコ・ファンの方々にけんかを売るつもりもなければ、作品をけなそうというつもりもありません。世界中の偉大なマエストロたちがチャイコの音楽を愛し、演奏しているわけですから、それはきっと素晴らしいものに違いないんです。でも私には分からない。それを今日も実感しました。いつものである調がですます調になっちゃうくらい、残念なことです。
例えば5番のシンフォニー。私には非常に表面的でトンボの羽くらい薄っぺらいと感じてしまいます。また例えばあの有名な弦楽セレナーデ。第1ヴァイオリンだった私にとっては、上がって下がってだけの音階練習・・・何かの罰ゲームかと言いたくなります。3大バレエ・・・同じ3大バレエでもストラヴィンスキーのほうが断然いいです。
そして今日聴いたピアノ協奏曲。何が良いのかさっぱり分かりません。冒頭のあの有名な出だしは良いメロディーだと思います。非常にキャッチーで、すごいと思います。でもそれだけです。後は技巧をこれみよがしに見せるだけのショーになっていて、それならばもっと楽しいポピュラー音楽はたくさんありますし・・・などと思ってしまいます。それでも過去、演奏が悪いのかもしれないと思っていろいろな演奏を聴いてみたりしたんですが、あのアルゲリッチをもってしても、私に感動を届けてくれませんでした。で、今日は、最近の演奏家ならばどうかと、ラン・ランの演奏を聴きましたが、まるでダメでした。こうなってくると、やっぱり自身の鑑賞能力の問題だと思われ、ちょっと凹んでいます。ううむ。
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調とピアノ協奏曲ニ長調作品61
昨日の第4番に引き続き今日もベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴いているのだが、一連の5曲以外にニ長調の作品があるとは知らなかった。と思ったら、有名なあのヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版のことであった。クレメンティのすすめにしたがってベートーヴェン自身が編曲したもので、オリジナルのヴァイオリン協奏曲とともに今日聴いている。
一言で言って耳になじむのはオリジナルのヴァイオリン協奏曲だが、ピアノ編曲版である協奏曲も、何というか非常に自然である。もっともこの曲は元々ピアノ的な発想で独奏部が書かれてしまった(*1)とも言われているそうだから、自然なのは当然なのかもしれないが。またヴァイオリン版では演奏者に任せられていたカデンツをベートーヴェン自身が書いている(しかもティンパニを伴う!)というのも特徴だろうか。いずれにしても面白い曲である。
ベートーヴェンはヴァイオリンとオーケストラのために、ニ長調の素晴らしい協奏曲を1806年に書いた。1802年の10月6日(つまり207年前の今日であるが)に、難聴への絶望からハイリゲンシュタットの遺書を書いて危機に陥っているが、1806年ということは、それを克服して充実した曲を書き続けた中期の作品ということになる。1804年のエロイカ交響曲、1806年のピアノ協奏曲第4番、そして1807年の、シューマンが「2人の北方神話の巨人の間にはさまれたギリシアの女神」と言わしめた(同意はできないが)あの交響曲第4番といった具合に、力強く、活気のある曲が生み出されている。ロマン・ロランがいうところの「傑作の森」の中の一つである。第1楽章の堂々たる威風、第2楽章の不滅の精神性、第3楽章の伸びやかな円舞曲。どこをどうとっても愉しみに溢れ、素晴らしい歌心が埋め尽くされている。
ところでこのヴァイオリン協奏曲だが、随分と時間がない中で作られ、初演時にあたったヴァイオリニスト、フランツ・クレーメントは初見で演奏する羽目になったとか。初演の12月23日に対して、早くても11月下旬に取りかかったということが自筆譜に使用されているインクの研究から明らかになっている(*2)が、何とも忙しいスケジュールの中で、これほどの曲を一気呵成に書いてしまうところも、ベートーヴェンの尋常ならざる力。まさに「炎の作曲家」(*3)だ。
*1:Jonas, Oswald 1931
*2:児島新 「ベート−ヴェン研究」 p148-149
*3:kurt2氏 「エクアール3」よりベートーヴェンに関する記述
[試聴]リサ・バティアシュヴィリ(Vn)
第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=t_mAlyBKkPU
http://www.youtube.com/watch?v=r-CO3CMRRTQ
http://www.youtube.com/watch?v=AIH9y3OGCjc
第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=0RxCD2rC8NE
第3楽章
http://www.youtube.com/watch?v=e0aUNwiUkCg
一言で言って耳になじむのはオリジナルのヴァイオリン協奏曲だが、ピアノ編曲版である協奏曲も、何というか非常に自然である。もっともこの曲は元々ピアノ的な発想で独奏部が書かれてしまった(*1)とも言われているそうだから、自然なのは当然なのかもしれないが。またヴァイオリン版では演奏者に任せられていたカデンツをベートーヴェン自身が書いている(しかもティンパニを伴う!)というのも特徴だろうか。いずれにしても面白い曲である。
ベートーヴェンはヴァイオリンとオーケストラのために、ニ長調の素晴らしい協奏曲を1806年に書いた。1802年の10月6日(つまり207年前の今日であるが)に、難聴への絶望からハイリゲンシュタットの遺書を書いて危機に陥っているが、1806年ということは、それを克服して充実した曲を書き続けた中期の作品ということになる。1804年のエロイカ交響曲、1806年のピアノ協奏曲第4番、そして1807年の、シューマンが「2人の北方神話の巨人の間にはさまれたギリシアの女神」と言わしめた(同意はできないが)あの交響曲第4番といった具合に、力強く、活気のある曲が生み出されている。ロマン・ロランがいうところの「傑作の森」の中の一つである。第1楽章の堂々たる威風、第2楽章の不滅の精神性、第3楽章の伸びやかな円舞曲。どこをどうとっても愉しみに溢れ、素晴らしい歌心が埋め尽くされている。
ところでこのヴァイオリン協奏曲だが、随分と時間がない中で作られ、初演時にあたったヴァイオリニスト、フランツ・クレーメントは初見で演奏する羽目になったとか。初演の12月23日に対して、早くても11月下旬に取りかかったということが自筆譜に使用されているインクの研究から明らかになっている(*2)が、何とも忙しいスケジュールの中で、これほどの曲を一気呵成に書いてしまうところも、ベートーヴェンの尋常ならざる力。まさに「炎の作曲家」(*3)だ。
*1:Jonas, Oswald 1931
*2:児島新 「ベート−ヴェン研究」 p148-149
*3:kurt2氏 「エクアール3」よりベートーヴェンに関する記述
[試聴]リサ・バティアシュヴィリ(Vn)
第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=t_mAlyBKkPU
http://www.youtube.com/watch?v=r-CO3CMRRTQ
http://www.youtube.com/watch?v=AIH9y3OGCjc
第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=0RxCD2rC8NE
第3楽章
http://www.youtube.com/watch?v=e0aUNwiUkCg
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
ベートーヴェンのピアノ協奏曲といえば第5番「皇帝」であるが、5番を飽きるほど聴きこんだ頃に、1〜4番に食指を伸ばして4番にハマったという方は多いのではないか。(・・・と勝手に思っている。)根拠などなく、ただ自分がそうだったからなのだが、この第4番には、永遠に聳え立つエンペラーにはない、ベートーヴェンの内面の世界というか、そんなものを感じずにいられない。結局今は5番よりもこっちの4番のほうが好きになってしまっている。
穏やかに始まる第1楽章、伸びやかに歌われる第3楽章のロンド。どこまでも暖かな包容力とチャーミングなベートーヴェンの世界である。一方第2楽章は、二つの明るい楽章に挟まれた間で、一転して仄暗い。断固とした意志を感じさせる力強いオーケストラとは対照的に、独奏ピアノが奏でる音からは、ベートーヴェンの寂々とした心の森が広がる。たった6分程度で終わってしまうのが惜しいくらい良い曲である。そしてまったく関係がないのだが、結構な大音量で聴いているのに、うちのポコ、寝てる(汗)。

演奏はやっぱりフリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルだと思う。テンポも素晴らしく、グルダのピアノは、重々しくなりすぎず、感傷的になりすぎず、とても美しい。シュタイン指揮によるウィーン・フィルが最高にうまい。
[試聴]
※演奏は違うけれど、
クリスティアン・ツィメルマン(Pf)レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル
第1楽章:アレグロ・モデラート
第2楽章:アンダンテ・コン・モルト
第3楽章:ロンド、ヴィヴァーチェ
穏やかに始まる第1楽章、伸びやかに歌われる第3楽章のロンド。どこまでも暖かな包容力とチャーミングなベートーヴェンの世界である。一方第2楽章は、二つの明るい楽章に挟まれた間で、一転して仄暗い。断固とした意志を感じさせる力強いオーケストラとは対照的に、独奏ピアノが奏でる音からは、ベートーヴェンの寂々とした心の森が広がる。たった6分程度で終わってしまうのが惜しいくらい良い曲である。そしてまったく関係がないのだが、結構な大音量で聴いているのに、うちのポコ、寝てる(汗)。

演奏はやっぱりフリードリヒ・グルダのピアノ、ホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルだと思う。テンポも素晴らしく、グルダのピアノは、重々しくなりすぎず、感傷的になりすぎず、とても美しい。シュタイン指揮によるウィーン・フィルが最高にうまい。
[試聴]
※演奏は違うけれど、
クリスティアン・ツィメルマン(Pf)レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィル
第1楽章:アレグロ・モデラート
第2楽章:アンダンテ・コン・モルト
第3楽章:ロンド、ヴィヴァーチェ
ハンソン 交響曲第1番ホ短調「ノルディック」 | ジェラルド・シュワルツ指揮 シアトル交響楽団
ひと雨ごとに涼しさを増し、秋も次第に深まる10月である。季節に合わせて、というわけでもないのだが、今日は少し涼しげな曲を聴きたいと思って棚をごそごそと探すうちに、久しぶりにアメリカの作曲家ハワード・ハンソンが1922年に書いた交響曲第1番「ノルディック(北欧風)」を思い出して取りだしてきた。ジェラルド・シュワルツがシアトル交響楽団を振ったもので、これまで出会った同曲の演奏の中では最良のものと考えている。(欲を言えばもう少し推進力が欲しいけれど。)

ハワード・ハンソンは、1896年に生まれ1981年に没したアメリカの作曲家である。生没年からすると20世紀の作曲家ということになるから、作風は非常に現代的なものかと連想しがちだが、ハンソンは生涯を通じて同時代の主流を為した調性感の乏しい音楽に疑問を持ち続け、自らは新ロマン主義の作風を堅持した。そのおかげで、20世紀の音楽にも関わらず非常に聴きやすく、分かりやすい。特にスウェーデンに起源をもつ両親の家系に生まれたハンソンは、多くの作品で北欧を題材に取り上げており、シベリウスが好きな方ならば、きっとハマる作曲家だろう。(うちの奥さんのように「北欧に実際住んで自然の厳しさを生活として体験したことのない人が、北欧の観光的な良い印象だけを持って書いた曲」と評する人もいるけれど、私は大好きである。よっぽど温暖な神奈川から雪深い信州に嫁いできた時の経験がトラウマのようだ。第2楽章を陰鬱な雰囲気の「Adagio malinconico assai - 雪かきの日々」にしたいのだそうだ。奥さん、すみません。。。)
今日聴いた交響曲第1番もまた、「ノルディック」というタイトルが指し示す通り、そうした北欧を扱った作品である。峻厳な北欧の自然を想起させる旋律。第1楽章の冒頭を聴いた瞬間から、北欧の海と山と空と大地とが眼前に広がる。全3楽章から成っており、そのどれもが美しい旋律とレスピーギゆずりの華麗なオーケストレーションに満ちており、まるで映画のシーンでそのまま使えるような20世紀ノスタルジーなサウンドに溢れている。
[試聴]※演奏は違うけれど
<第1楽章>Andante solenne - Allegro con forza(前半)
<第2楽章>Andante teneramente, con semplicita
<第3楽章>Allegro con fuoco(後半)

ハワード・ハンソンは、1896年に生まれ1981年に没したアメリカの作曲家である。生没年からすると20世紀の作曲家ということになるから、作風は非常に現代的なものかと連想しがちだが、ハンソンは生涯を通じて同時代の主流を為した調性感の乏しい音楽に疑問を持ち続け、自らは新ロマン主義の作風を堅持した。そのおかげで、20世紀の音楽にも関わらず非常に聴きやすく、分かりやすい。特にスウェーデンに起源をもつ両親の家系に生まれたハンソンは、多くの作品で北欧を題材に取り上げており、シベリウスが好きな方ならば、きっとハマる作曲家だろう。(うちの奥さんのように「北欧に実際住んで自然の厳しさを生活として体験したことのない人が、北欧の観光的な良い印象だけを持って書いた曲」と評する人もいるけれど、私は大好きである。よっぽど温暖な神奈川から雪深い信州に嫁いできた時の経験がトラウマのようだ。第2楽章を陰鬱な雰囲気の「Adagio malinconico assai - 雪かきの日々」にしたいのだそうだ。奥さん、すみません。。。)
今日聴いた交響曲第1番もまた、「ノルディック」というタイトルが指し示す通り、そうした北欧を扱った作品である。峻厳な北欧の自然を想起させる旋律。第1楽章の冒頭を聴いた瞬間から、北欧の海と山と空と大地とが眼前に広がる。全3楽章から成っており、そのどれもが美しい旋律とレスピーギゆずりの華麗なオーケストレーションに満ちており、まるで映画のシーンでそのまま使えるような20世紀ノスタルジーなサウンドに溢れている。
[試聴]※演奏は違うけれど
<第1楽章>Andante solenne - Allegro con forza(前半)
<第2楽章>Andante teneramente, con semplicita
<第3楽章>Allegro con fuoco(後半)
蕎麦処「うずら家」(うずらや) | 信州戸隠山御門前
うまい蕎麦が食べたくて、濃霧の中をひた走り、長野市の戸隠高原にある蕎麦屋「うずら家」さんに行ってきた。
前にも書いたのだが、信州そばというけれど、本当に美味しい本物を食べたければ、長野市の戸隠、それも選ばれたお店に行かないとなかなか味わえない。・・・と勝手に思っている。中でも、先日書いた「そばの実」、今日行った「うずら家」、そして今度書こうと思っている「山笑」さんはトップ3で、どれも蕎麦のレヴェルは最高級。強いてわけるなら、店の雰囲気を一緒に味わうなら「そばの実」さん、ストレスレスな素晴らしい接客と極上の天ぷらを一緒に味わうなら「うずら家」さん、そば単体で愉しむなら「山笑」さん・・・・・・と、勝手に思っている。本当に勝手に思っているだけだし、その他にもたくさんの美味しいお店があるので、これが絶対というわけではないのですが。
さてそんなわけで、うずら家さんの蕎麦。まず玄関の戸に近づくと、自動ドアじゃないのに、自動で開く。駐車場から歩いてくる人を、全員で見ているらしく、もはや入店認知が早いとかそういうレヴェルではない。素晴らしい。厳しいイメージのある職人さんをはじめ、お店の全員が気持ちの良い笑顔と礼で迎えてくれる。本当に気持ちが良い。2階に案内されると、今度は2階のスタッフがすぐに席に案内してくれる。さらにお手洗いを探して1Fに戻ると、何も言っていないのに、「こちらです。」とすぐに案内してくれる。なんという接客レヴェルの高さだろうか。業種はまるで違うけれど、うちの店でも見習うべきところがたくさんある。

まずはお通し。野沢菜の漬物とそば茶。

ざる蕎麦。笹の葉に乗ったコシのある麺。つゆも甘すぎず辛すぎず、ダシが効いていてとても美味しい。

うずら家さんに来るならば食べないと後悔するのがこの天ぷら。ごま油で揚げているのだという。サクサクの食感とゴマの香りが見事である。

うまかった。
前にも書いたのだが、信州そばというけれど、本当に美味しい本物を食べたければ、長野市の戸隠、それも選ばれたお店に行かないとなかなか味わえない。・・・と勝手に思っている。中でも、先日書いた「そばの実」、今日行った「うずら家」、そして今度書こうと思っている「山笑」さんはトップ3で、どれも蕎麦のレヴェルは最高級。強いてわけるなら、店の雰囲気を一緒に味わうなら「そばの実」さん、ストレスレスな素晴らしい接客と極上の天ぷらを一緒に味わうなら「うずら家」さん、そば単体で愉しむなら「山笑」さん・・・・・・と、勝手に思っている。本当に勝手に思っているだけだし、その他にもたくさんの美味しいお店があるので、これが絶対というわけではないのですが。
さてそんなわけで、うずら家さんの蕎麦。まず玄関の戸に近づくと、自動ドアじゃないのに、自動で開く。駐車場から歩いてくる人を、全員で見ているらしく、もはや入店認知が早いとかそういうレヴェルではない。素晴らしい。厳しいイメージのある職人さんをはじめ、お店の全員が気持ちの良い笑顔と礼で迎えてくれる。本当に気持ちが良い。2階に案内されると、今度は2階のスタッフがすぐに席に案内してくれる。さらにお手洗いを探して1Fに戻ると、何も言っていないのに、「こちらです。」とすぐに案内してくれる。なんという接客レヴェルの高さだろうか。業種はまるで違うけれど、うちの店でも見習うべきところがたくさんある。

まずはお通し。野沢菜の漬物とそば茶。

ざる蕎麦。笹の葉に乗ったコシのある麺。つゆも甘すぎず辛すぎず、ダシが効いていてとても美味しい。

うずら家さんに来るならば食べないと後悔するのがこの天ぷら。ごま油で揚げているのだという。サクサクの食感とゴマの香りが見事である。

うまかった。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番,第3番 | フリードリヒ・グルダ(Pf) ホルスト・シュタイン指揮 ウィーン・フィル
これまでいろいろな演奏会を聴きに出かけてきたけれど、心の底から感動に震えたという経験は少ない。その少ない経験の一つが、今から14年前。確か1995年だったと思うが、地元長野市のお隣にある須坂市のメセナホールというところで開かれた、ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団の演奏会である。何故、バンベルク響が長野の、それも須坂市で公演をすることになったのかは分からないけれど、地元では珍しいオーケストラのコンサート(今もそうだが普段プロのオーケストラの演奏会がまるでない。)、しかもバンベルクだというので喜んで出かけた。当日は非常に濃厚なプログラムで、前半がベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。後半がR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。どれだけこってりしたプログラムかと思うけれど、最初の田園からして、もうどっぷり重厚なドイツの音。しかもオケのメンバーも、ホルスト・シュタインも、なぜかこの日、尋常ならざるやる気とパワーをみなぎらせていた。聴いているこちらも動悸は早まり、手に汗握り、感動に震え、気が付いたら、アンコールのマイスタージンガーの前奏曲だったという具合で、それなのにこの日の演奏は、細部を思い出そうと思うと、弦楽群の分厚い響き、木管の一本一本、金管の咆哮まで、良く思い出せるのである。誠に不思議な一夜であった。客電が付き、オーケストラがはけた後もいつまでも鳴りやまない拍手にこたえて、誰もいないステージにホルスト・シュタインが一人だけで出てきて胸に手を当てて拍手を受けていた姿が忘れられない。
そんなホルスト・シュタインが昨年の夏に亡くなって1年とちょっと。今日はこの偉大なマエストロがフリードリヒ・グルダとウィーン・フィルという組み合わせでのこした、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集から第1番と第3番を聴いている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲は全部で5曲だが、今日聴いた第1番は実は2曲目のピアノ協奏曲。第2番のほうが、作曲が早かったのでややこしい。まあこの第1番といい第3番といい、真にベートーヴェンらしい風格と言えば第5番の「皇帝」だろうが、例えば第1番でも、古典派の枠内ギリギリのところで様々な個性的な試行がなされており、十分にベートーヴェンを感じ取ることができる。
演奏のまず素晴らしいのは、グルダの明晰で粒のそろった音である。全ての部分がくっきりと浮き上がり、愉しく爽快な音楽を奏でている。神業ともいえるテクニックに裏打ちされた安定感ある演奏。奇を衒わないホルスト・シュタインの指揮に導かれたウィーン・フィルの豊麗なサウンドも見事である。
↓youtubeでみつけたアルゲリッチさんもスゴイ。
[試聴]アルゲリッチ(Pf)
http://www.youtube.com/watch?v=rZu0rq2qFSg
そんなホルスト・シュタインが昨年の夏に亡くなって1年とちょっと。今日はこの偉大なマエストロがフリードリヒ・グルダとウィーン・フィルという組み合わせでのこした、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集から第1番と第3番を聴いている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲は全部で5曲だが、今日聴いた第1番は実は2曲目のピアノ協奏曲。第2番のほうが、作曲が早かったのでややこしい。まあこの第1番といい第3番といい、真にベートーヴェンらしい風格と言えば第5番の「皇帝」だろうが、例えば第1番でも、古典派の枠内ギリギリのところで様々な個性的な試行がなされており、十分にベートーヴェンを感じ取ることができる。
演奏のまず素晴らしいのは、グルダの明晰で粒のそろった音である。全ての部分がくっきりと浮き上がり、愉しく爽快な音楽を奏でている。神業ともいえるテクニックに裏打ちされた安定感ある演奏。奇を衒わないホルスト・シュタインの指揮に導かれたウィーン・フィルの豊麗なサウンドも見事である。
↓youtubeでみつけたアルゲリッチさんもスゴイ。
[試聴]アルゲリッチ(Pf)
http://www.youtube.com/watch?v=rZu0rq2qFSg
半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903 | ピーター=ヤン・ベルダー(Cembalo) 大竹道哉(Pf)
昨年購入したブリリアント・クラシックスの「バッハ大全集」を飽きずに聴いている。中には「ん?」と思うものもごくまれにはあるが、概ね素晴らしい演奏であり、とても気に入っている。今日はその中の一枚。バッハが遺した鍵盤作品の中から、イタリア協奏曲ヘ長調BWV971、パルティータロ短調(フランス風序曲)BWV831と、半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903をピーター=ヤン・ベルダーのチェンバロで聴いた。

ピーター=ヤン・ベルダー(http://ibizweb.nl/belder/)は、今日、チェンバロ奏者としても、リコーダー奏者としても活躍する1966年生まれの音楽家である。不勉強のためこの全集を買うまで実際の演奏を聴いたことがなかったが、本大全集の鍵盤作品の大部分を彼が弾いていることからも、うちのポコが彼の演奏を聴いて喜んでいることからも、その実力と水準の高さが分かる。スカルラッティの全集なども出しているようで、今後の愉しみがまた増えた。
さて今日標題にしたこの「半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903」であるが、これはバッハの書いた鍵盤作品の中でも、その峻厳さと内包するエネルギーにおいては、最高峰といえるだろう。タイトルの通り半音階的であり、ゆえに大胆な転調と相まって極めてエモーショナルなエネルギーを秘めている。後のベートーヴェンがこの曲を深く研究したというが、まったく納得できるドラマティックな内容だ。

この曲、チェンバロも良いけれど、ピアノも良い。ちょうど全日本ピアノ指導者協会さんのページにて、ピアニストの大竹道哉さんが音源を公開されているので、勝手にご紹介してみる。以前、地元のピアノのイベントにアドヴァイザーとしてお越しいただいたことがあり、気さくで暖かいお人柄にスタッフ一同、楽しい時間を過ごさせていただきました。
[試聴]
http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/bach_j_s/000869.html

ピーター=ヤン・ベルダー(http://ibizweb.nl/belder/)は、今日、チェンバロ奏者としても、リコーダー奏者としても活躍する1966年生まれの音楽家である。不勉強のためこの全集を買うまで実際の演奏を聴いたことがなかったが、本大全集の鍵盤作品の大部分を彼が弾いていることからも、
さて今日標題にしたこの「半音階的幻想曲とフーガニ短調BWV903」であるが、これはバッハの書いた鍵盤作品の中でも、その峻厳さと内包するエネルギーにおいては、最高峰といえるだろう。タイトルの通り半音階的であり、ゆえに大胆な転調と相まって極めてエモーショナルなエネルギーを秘めている。後のベートーヴェンがこの曲を深く研究したというが、まったく納得できるドラマティックな内容だ。

この曲、チェンバロも良いけれど、ピアノも良い。ちょうど全日本ピアノ指導者協会さんのページにて、ピアニストの大竹道哉さんが音源を公開されているので、勝手にご紹介してみる。以前、地元のピアノのイベントにアドヴァイザーとしてお越しいただいたことがあり、気さくで暖かいお人柄にスタッフ一同、楽しい時間を過ごさせていただきました。
[試聴]
http://www.piano.or.jp/enc/dictionary/composer/bach_j_s/000869.html